なぜマダガスカル(アフリカ東部の島国)が世界最大のバニラの生産地となったのか?

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今から3年以上前に、バニラのことを取り上げたブログ記事をアップしたことがあります。

【過去記事:バニラ商品が一般的過ぎて、「ハーブとしてのバニラ」の実態が意外に知られていないのではないかと思う件】(2017年10月19日)

当時の記事を振り返ると、バニラに関する知識がほとんど無い状況で書いた内容なので、とても新鮮に感じます。

上記の記事には、当時のマダガスカルにおける”バニラバブル”の状況を取り上げた以下のニュースのリンクが貼られていました。

バニラ景気に沸く一方で、バニラの盗難被害の増大や、利益優先による品質低下の懸念についての記載があります。

当時は、世界の市場に出回るバニラのうち約80%がマダガスカルで生産されているものであることを知り驚いたことを記憶しているのですが、今日は、「まぜマダガスカルは世界一のバニラ生産国になったのか?」について説明された記事を取り上げたいと思います。

世界で2番目に高価なスパイスであるバニラ栽培の歴史


アイスクリームやプリンなどの洋菓子には欠かせないバニラエッセンスやバニラビーンズの原料である植物「バニラ」は同じ重さの銀よりも高価で、サフランに次いで世界で2番目に高価なスパイスとして知られています。記事作成時点で市場に出回っている天然バニラの多くは、原産地である中央アメリカではなく、アフリカ東部の島国であるマダガスカルで生産されています。なぜマダガスカルが世界最大のバニラの生産地となったのかについて、世界中のさまざまな物事を解説するAtlas Obscuraが解説しています。
How Did Madagascar Become the World’s Biggest Producer of Vanilla? – Gastro Obscura
https://www.atlasobscura.com/articles/madagascar-vanilla
バニラは、中央アメリカから東南アジア、西アフリカなど、低緯度地域の高温多湿な場所に植生するラン科バニラ属のつる植物です。常緑植物のバニラから採れる果実は細長く、この果実を発酵・乾燥させたものが香料として使われます。

by Reizigerin
なお、バニラのアイスクリームに入っている黒い粒は、この果実の中に含まれている無数の黒い種子です。

by Liliana Fuchs
「バニラの女王」と呼ばれるほどバニラに詳しい、世界有数のスパイス専門家であるパトリシア・レイン氏によると、バニラの仲間は世界中に何百種類も存在しますが、野生でバニラ特有の香りを持つ種は中央アメリカに原生するものだけだとのこと。そして、この中央アメリカ原産のバニラは栽培が非常に難しいのだそうです。
栽培が難しい理由の1つは、受粉のメカニズムが解明されていないからだとのこと。バニラの花はたった数時間しか咲かず、一説では中央アメリカに生息するハチやハチドリが受粉に関与しているのではないかといわれていますが、詳しいことは判明していません。そのため、バニラの需要は非常に高いものの、人類はメキシコ南東部に自生するバニラから果実を採取せざるを得ませんでした。
また、採取した果実をそのまま使っても、バニラ特有の甘い香りは得られません。バニラの香りの主成分であるバニリンは、バニラの果実をゆでて焙煎し、油脂で黒くなるまで乾燥させることで合成されるため、バニラの加工には非常に手間と時間がかかります。そのため、バニラは需要に対して供給量が非常に限られてしまい、値段も高価です。

by Brian Boucheron
バニラはもともと、アステカ族やトトナック族などのメキシコ周辺の先住民が、宗教儀式やチョコレート製の飲み物の香り付けに使っていたそうです。
しかし、16世紀にスペインが中央アメリカを征服した際に、チョコレートや唐辛子、トマトなどと一緒にヨーロッパへ持ち込まれました。そして、植民地で作られた砂糖と組み合わさることで、バニラアイスクリームやクリームブリュレなど、バニラを使った上流階級向けの菓子が発明され、バニラの需要は著しく高まりました。
先述の通り、バニラは栽培が非常に難しい植物です。そのため、ヨーロッパに流通するバニラは、中央アメリカを支配するスペインが完全に独占していました。そこで、19世紀頃からスペイン以外のヨーロッパ諸国は東南アジアやアフリカの植民地でバニラの栽培を試みました。
その中でも、フランス領だったマダガスカルはバニラの栽培に適した気候でした。バニラの生育には高温多湿な環境が必要ですが、花が開いて受粉するまでは乾燥している必要があるため、高温多湿でありながら、年に2回ほど数カ月単位の乾期が訪れるマダガスカルの気候は、バニラの栽培にはぴったりだったというわけです。それでも、当初はバニラの受粉は自然任せで、果実はなかなか得られませんでした。
不可能と思われたバニラの人工栽培に成功したのは1841年、マダガスカル沖にあるフランス領のブルボン島(現在のレユニオン)でのことでした。奴隷だった12歳のエドモン・アルビウスは植物への造詣が深かったことから、植物学者のフェレオル・ベリエ=ボモンから助手に採用され、植物学と園芸技術を教わりました。

当時、ボモンはバニラの栽培を試みるために、バニラの株をブルボン島に持ち込んでいました。バニラの花は雌雄同体で、1つの花におしべとめしべが存在します。つまり自家受粉が理論的には可能なのですが、バニラのおしべとめしべの間にはなぜか薄い膜が張られており、自家受粉ができないようになっていました。そこで、アルビウスはこの膜をピンで持ち上げ、人工的に受粉させました。その結果、アルビウスの予想通り、ボモンが20年育てて一度も果実をつけなかったバニラは見事結実。この時、人類史上初めてバニラの人工授粉法が確立されました。

アルビウスの発見した人工授粉法によって、ブルボン島と同じフランス領だったマダガスカルでもプランテーションによるバニラの大規模生産が行われるようになりました。特にブルボン島産のバニラはブルボンバニラと呼ばれ、巨万の富を生みましたが、奴隷だったアルビウスは訴訟に巻き込まれ報酬を得られず、奴隷が非合法となった1848年に奴隷から解放されたものの、1880年に貧窮のうちに亡くなりました。
ブルボンバニラは、原産地であるメキシコのバニラよりも品質が高いとはいえませんでした。しかし、メキシコは1910年に勃発したメキシコ革命から数十年にわたって内戦状態となり、1914年頃にはメキシコ国内のバニラ農場はすべて閉鎖してしまいました。さらに1932年にはメキシコのバニラ生産の中心地だったパパントラ市からすぐのところに大規模な油田が発掘され、石油産業に重きを置かれるようになりました。くわえて、メキシコ国内の森林が大規模に伐採されたことで高温多湿な気候が変動し、バニラが育ちにくくなってしまったとのこと。こうして、メキシコのバニラ農業が大打撃を受けたことで、マダガスカルが世界最大のバニラの生産地となったわけです。
なお、バニラの香りを生むバニリンの合成は19世紀から研究が進められており、現代では工業的に合成することも可能となっています。市場に出回っているバニラ香料の99%は合成バニリンによるもので、価格も天然バニラの20分の1以下だそうです。

by Bill Holsinger-Robinson

※Gigazineの2021年1月4日の記事(https://gigazine.net/news/20210104-history-vanilla-madagascar/)より抜粋

現在、市場に出回っているバニラは、中央アメリカ(メキシコ)が原産であり、メキシコを植民地支配していたスペインがヨーロッパへ流通させたことで需要が大きく高まり、その後、各地で栽培の試みが開始し、結果としてマダガスカルの気候がバニラ栽培に最もマッチしていたという歴史的な流れがとても参考になりました。

メキシコと言えば、チョコレート普及の世界の歴史の中でも起点として登場する国です。

【過去記事:チョコレート&コーヒーミュージアム(マレーシア・ペナン島)で、今まで全く知らなかった情報に触れてきました。】(2019年4月21日)

メキシコには、現代文明の源流がかなり多く集約されているのではないか?という好奇心が沸き立ちます。

今回の抜粋記事により、バニラに対する見方が大きく広がったので良かったです。

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