「魔女(witchcraft)」という言葉に対する通念が、魔女に対する理解を歪めているように感じる件

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ハーブと関わるようになってから、頻繁に「魔女」という言葉に触れるようになりました。

私自身は、「魔女」と言った時のイメージは、ハーブの知識をはじめとして、自然・宇宙の道理を深く理解し、人間としての感覚が冴えわたっていて、本質的な助言や行動をする人という感じでとらえています。

全然違います!という方が居たらすみません。

少なくとも、ハーブと深くかかわっている方であれば「悪魔崇拝をしていて、人に災いをもたらす妖術を使う女性」(※)というような理解をしている人はいないのではないでしょうか。

しかしながら、ハーブの世界とは全く無縁の生活をしている女性と数か月前に、魔女の話題になったときに、(※)のようなイメージを持っている人がいました。

ちなみにネット上で出てくるメジャーな事典の魔女に対する解説は以下です。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

超自然的な方法によって他人に災いをもたらす女妖術師。広義の妖術は,他人に対して超自然的作用により意図的に災いを及ぼす場合と,意図的ではない場合の両方を含むが,狭義の妖術 witchcraftは,後者の神秘作用のみをさし,意図的行使は邪術 sorceryと呼ばれる。しかし,一般には邪術を主として用いる女性をさす。ヨーロッパでは旧石器時代から魔女の観念があったことを示す遺構が残っており,魔女の歴史は古い。特に魔女が衆目を集めたのは,16世紀前後の魔女狩りが激烈であった時代であり,そのときに処刑された者の数は数万にも及ぶといわれる。妖術師は男女両性にわたってみられるが,女性の場合のほうが多いといわれる。きわめて伝統的生活をおくる社会では,社会的規範から逸脱した者が魔女と呼ばれ,非難されることが多い。

デジタル大辞泉の解説

ヨーロッパの俗信で、悪霊と交わって魔力を得た女性。その超自然的能力により、人間に対して悪事を働き教会に対して害を与えると考えられた。ウイッチ。

悪魔のような女。また、男性の心を惑わす、あやしい魅力をもつ女性。

3 普通の人にはない、特別にすぐれた能力をもつ女性。「東洋の魔女」

百科事典マイペディアの解説

英語witch,ドイツ語Hexeなどの訳。男性(魔術師,魔法使い)を表す欧語はwizard,Hexerなど。悪魔と契約し,魔宴(サバト)を開き,さまざまな妖術を用いて共同体に害をなす存在というのが通念であるが,産婆術や薬草の知識などをもち,ときに予言や占いも行う女性が原像であり,キリスト教の浸透とともに排除されて邪悪なイメージが付与されていったものと思われる。

この3つの解説を見るだけでも、「魔女」という言葉にこびりついた観念の強さがわかります。恐らく時代時代で勢力の強い宗教、政治というものによって都合のいいように本質を捻じ曲げられた結果、このような解釈の分離が起こったのだと思います。

ただ、3つ目の「百科事典マイペディアの解説」は、私の感覚ではバランスがとれているように感じます。

キリスト教の信者は、善と悪というものをはっきりと区別したがる傾向があることは私の人生経験でも感じることがありましたので、後半の解説も正しいのではないかと思っています。

小学校の道徳教育が象徴的ですが、このように行動する人が善、このように行動しない人は悪と定義する意図というのは、その時代の権力者が国民をコントロールしやすくするというところにあるのではないかと思います。

なので、権力者が変わって時代が変化していくと、善と悪の基準も変化していくわけであって全く本質的なものではないことがわかると思います。

そういった意味で、善と悪の基準を定める側にとって、言葉の印象というのは重要なのであって、観念の強い多くの国民にとっては影響を受けやすいものになります。

魔女のことについて調べていると、、

”Witch”や”Hexe”をなぜ「魔女」と訳すことができるのかー日本における「魔女」あるいは「魔」の系譜ー

というタイトルで東洋大学の人間科学研究所というところが出している論文が見つかり、「魔」という概念の考察含め真面目に研究されているところが新鮮でした。

最後の結論のところを以下に引用します。

「魔」という漢字および概念は、仏教伝来とともに日本に伝来したものであるが、1章、2章で指 摘したように日本においては、仏教との関わりの中で長いこと用いられてきた。

それが中世後期から 近世にかけて、口承というメディアを介して、仏教用語としての狭義の「魔」を取り巻くように、それとは乖離しつつある広義の「魔」の概念が、民衆レベルに定着してきた。

さらに明治維新以降は、 とりわけキリスト教文化を基層とする西洋文学文化の流入により、全知全能の神に対置される絶対悪、 あるいはそれに加担する存在として理解されることの多い“Hexe”や“witch”の翻訳語が模索され、 そこに漢字「魔」が用いられて現在の訳語につながっていくのである。

そもそも翻訳語としてどのことばを選択するかは、究極のところ個人の「言語感覚」に根ざした問題であり、時代背景や当時の翻訳者自身が置かれている状況などに大きく左右される問題でもある。

しかしながら、日本の中世以降 の説話文学や軍記物語において成立した仏教的な「魔」から離れた、周囲に悪い影響をおよぼす広義 の「魔」を経験しない限り、「魔」という漢字が、明治維新以降に西洋より伝来した“Hexe”や“witch” と結びつくことはなかったのである。  

明治維新以降、日本にはなかった様々なものが有形無形を問わず日本に流入してきた。

そうした新 しいものが輸入される際、古く遡ればもともと外来語であった漢語が翻訳語として創作され、外来の ものに対する呼称として転用されてきた。

それは、漢字という外来の文字が日本に根づいた証拠でも ある。しかし、漢語が流入したのは古代だけではない。

中国大陸や朝鮮半島との交流は古代以降も連 綿と続いており、明治の知識人たちがふれていた近代中国の白話文についても調査する必要があるだ ろう。

新渡戸や漱石など英文学に通じた人々が使用した「妖婆」ということばも、そうしたところに 出典がないとは断言できない。

また、フランス語の“sorcière”やロシアの伝承文学に登場する “Baba-Yaga”など、さまざまな言語と、その言語が持つ文化的背景を検証していくことが今後必要 であることはいうまでもない。

そして、西欧にとどまらず全ヨーロッパに多大な影響を与えたキリス ト教文化、なかんずく聖書の翻訳状況を明らかにすることが、日本における「魔」の展開を知る上で 急務であるといえるだろう。

魔女という言葉に対する解釈の分離現象を通じて、思うことは、「言葉は所詮言葉」ということです。人間としての感覚を失っていくと、言葉という観念にどんどん振り回されていきます。

最近、エセ健康情報掲載サイトの件がネットを騒がしていましたが、情報を鵜呑みにする人が多すぎるが故に問題になるのだと思います。

ハーブの知識に触れるときにも、「〇〇の▼▼効果によってアンチエイジングにつながるんですよ」という安易な説明がありますが、鵜呑みにするのではなく、自分自身で検証を重ねていく姿勢というのが重要だと思います。

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