曽田香料が運営する香料植物園(小豆島)の存在を知ったことで、”ローズゼラニウム”と”小豆島”の繋がりが明確になりました。

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先日、香川県・小豆島へ旅行した時のことを、数回にわたって記事にしましたが、「小豆島はローズゼラニウムの栽培に力を入れている」という情報を2度聞きました。

一度目は、日本3大渓谷美の一つ「寒霞渓(かんかけい)」に行き、小豆島最高峰の「星ヶ城跡地」へたどり着いた時に、そこで休息をとっていたご夫婦からです。

(注)実はこの時、”芳樟(ホウショウ)の栽培にも力を入れている”という情報を、そのご夫婦から頂いていました。

二度目は、小豆島滞在最終の夜に、坂手港のビール屋台にいた”まめまめびーる”のオーナーの中山さんからの情報です。

小豆島の素材にこだわったビールを作っているのですが、そのビールに「ローズゼラニウム」が使われていたので、中山さんに、小豆島はローズゼラニウムの栽培に力を入れているのかを確認したところ、「力を入れていますね」と言っていました。

【過去の参考記事:はじめての香川県・小豆島旅行記【小豆島最高峰「星ヶ城」→オリーブオイル搾油場→棚田→小豆島唯一のビール醸造所編】

ただ、小豆島滞在中に、それを確証づける情報というものを入手できず、モヤモヤした状態が続いていました。

しかし、昨日の記事【無印良品の「おやすみ」というブレンド精油が非常に売れているということなので、どんなブレンドなのか確認してみました。】を書いているときに、

無印商品の人気のブレンド精油に、芳樟(ホウショウ)が使われていることを知り、その流れで、約二年前の弊ブログ記事「九州旅行に行ったら必ず行ってみたい日本最古のハーブ園「開聞山麓香料園」」を見返していました。

そうすると、この記事の中に、以下の一節がありました。芳樟で有名な「開聞山麓香料園」の始まりに関しての記述です。

≪はじまりは1本のローズ・ゼラニュームから≫

昭和のはじめ、それまで輸入に頼っていた香料が戦争の影響もあり、輸入が難しくなっていました。 このことに危機感を持った曽田香料の創始者・曽田政治氏は、国内での香料製造をするべく様々な香料植物の試験栽培を始めます。

同じころ、当園創始者・宮﨑巌は、珍しい植物を育て増やし、管理する仕事をしていました。その中に、バラのような香りをもつ「ローズ・ゼラニューム」がありました。この植物を曽田氏にすすめたところたいへん気に入り、曽田氏はローズ・ゼラニュームの栽培に乗り出します。

昭和16年、栽培適地を探すため九州へ渡り現地調査が始まりました。

温暖な地を好むローズ・ゼラニュームの栽培適地を探した結果、薩摩半島の南端・開聞岳の麓が選ばれました。 そして宮崎巌は曽田香料・鹿児島農場長として、この地でローズ・ゼラニュームの増産を開始します。

当時、職員は徹夜で増産に努めました。その努力もあって、開聞岳の南斜面には広大なローズ・ゼラニューム畑が広がり、昭和18年には、日本で初めてローズ・ゼラニュームの精油の抽出に成功しました。その量は18kgでした。

この内容を見て「あれ?」と思いました。

そのポイントは、「ローズゼラニウム」と「芳樟」の繋がりです。冒頭のお夫婦のお話と奇妙に一致しているのです。

偶然なのだろうと思いながらも、上記の「曽田香料」のことを調べてみることにしました。以下が曽田香料のHPです。

東京・日本橋本社の会社で、HPをくまなく調べてみても、小豆島との繋がりを見出すことができませんでした。

そこであきらめず、「曽田香料 小豆島」というキーワードで検索をかけてみました。

すると、、、なんと、

一般財団法人 曽田香料植物研究所 香料植物園」が小豆島に存在することがわかったんです。

曽田香料が1992年に設立した香料の研究所&植物園です。

そして、研究所のHPの以下のページに、ローズゼラニウムに関する記述がありました。

ゼラニウム フクロソウ科・ベラルゴニウム属 Geraniaceae (pelargonium)

ゼラニウム一般的にゼラニウムというと、四季を通じて咲く観賞用の園芸植物として認識され、植物分類上、フクロソウ科のフクロソウ属も含まれて総称されているため、品種が非常に多くあります。
名前の由来は、種子がゲラノス(=ギリシャ語のつる)のくちばしに似ていることからと言われています。
その中で精油として使用されているゼラニウムは、ペラルゴニウムの品種改良種で母系植物はp.graveolensであり、精油を得るための種は、p.Graveolens(ニオイテンジクアオイ)、p.rosrum、p。Radula、p.capitatum、p.ororatissimumv、p.fragrans、p.terebinthinaceum等が知られています。

ゼラニウム精油を得る目的での栽培は、19世紀初期にフランス・グラース地方で始まり、1880年頃インド洋のブルボン島(現在のレユニオン島)に伝えられ、現在も世界で最も重要なゼラニウム生産地となっています。

日本のゼラニウム

日本でのゼラニウム栽培は、当研究所の祖・曽田政治氏の手によってなされたものです。その軌跡は1941年、静岡県由比、長野県御代田で試験栽培を開始。(デンチキュラタム種)

1942年、鹿児島・開門岳の山麓に直営農場を開設し、日本初のゼラニウム企業栽培にのりだす。しかし、第二次大戦の影響で香料栽培は継続不可能になったが、母株保存に努め、戦後の栽培再開に備えた。

1947年、戦後、栽培を再開。鹿児島農場の規模を拡張、周辺農家にも栽培を委託する。

1951年、栽培に適した地を調査した結果、台風被害が少なく、主産地レユニオン島の気候条件に近い条件から瀬戸内海の島々が候補とし、1953年小豆島農場を開設し、本格的に瀬戸内での栽培を始める。

当時栽培していた「デンチキユラタム種」は、精油の収率こそ本場「ブルボン種」を上回っていたが、香の質で若干劣っていたため、1954年「ブルボン種」の苗を入手。1957年従来種「デンチキユラタム種」をすべて「ブルボン種」に切り替え、品質的にレユニオン島に劣らないゼラニウム精油を生産できるようになった。しかし、収油率が低い為、品種改良を進め、香気はブルボン原種に劣らず、収油率の高い新品種「セト・ブルボン」を作りだすことに成功。

曽田氏による新品種「セト・ブルボン」の開発により、ゼラニウム精油の増産体制を確立していった。

その後、残念ながら天然香料の国内生産は、商業的採算の面から中断された。
しかし、天然香料国内生産30年の間に得られた技術的知見は「香り」の本質を見極めるメッセージとして現在に伝えられている。

当研究所は「セト・ブルボン」の母株を保存し、瀬戸内地帯における香料植物の伝統を保持し、香りを通じて文化の発展に寄与するように努めています。

この内容を見たときに、小豆島の記述があることに感動しましたが、ローズゼラニウム品種改良の歴史も知ることができ、2重に感動しました。

また、以下のページを見ると芳樟が植えられているエリアも確認できます。

以上の情報に触れて、小豆島のハーブ栽培の歴史は、”曽田香料”無しには語れないことがわかってきました。

小豆島滞在中にそのことが判明していれば、「一般財団法人 曽田香料植物研究所 香料植物園」へ必ず立ち寄っていたのですが、、仕方ないですね。

次回の訪問時の楽しみとして取っておきたいと思います。

日本の中でのハーブ栽培の歴史は、知れば知るほど本当に面白いです。

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