蚊取り線香に使われる「除虫菊」栽培の日本における歴史について

過去に、蚊取り線香に使われる「除虫菊」に関連する興味深いニュースについて取り上げたことがあります。(以下)

【過去記事:ケニアにおける天然の殺虫剤「除虫菊」生産の歴史と今後。除虫菊の可能性から目を離せません。】(2021年8月12日)

【過去記事:蚊取り線香の原料として知られる「除虫菊」のゲノム解読がされたというニュースを見て、除虫菊のこと少し調べてみました。】(2019年12月11日)

☝の2つの記事を見ると、今後の伸びしろが非常に大きいハーブ素材であることがわかると思います。

今日は、その除虫菊栽培の”日本における歴史”についての記述がある記事を取り上げたいと思います。

「向島」しまなみ最初の除虫菊栽培の地|再発見!大人のしまなみ海道

今は因島などが有名だが、尾道にも除虫菊の花畑が広がる。見頃はGWだ。

■瀬戸内に彩りを添える真っ白い除虫菊の花畑

尾道鳴滝山から望む向島と岩子島のパノラマ。瀬戸内海の穏やかな海に抱かれて緑萌える島の風景に心なごむ。

幾重にも連なる真っ白い花弁が潮風に揺れている。海を見下ろすなだらかな斜面はまるで白いじゅうたんを敷きつめたよう。マーガレットにも似た印象だが、花の名前は除虫菊(除虫菊)。

その名のとおり虫除け効果のある菊で、蚊取り線香の原料となる花として知られる。ピレトリンという殺虫成分が含まれる除虫菊の正式名称は、“シロバナムシヨケギク”。原産地はクロアチア(旧ユーゴスラビア)で、日本にもたらされたのは明治10年(1877)頃とされている。

上山英一郎の功績を称えて建立された除虫菊神社。

余崎港の穏やかな海。

栽培を広めたのは和歌山県有田郡出身の上山英一郎。明治19年(1886)にアメリカの植物会社から除虫菊の種を贈られ、地元和歌山で栽培して商品化。世界初の渦巻き状蚊取り線香を発明する。赤い鶏のトレードマーク「金鳥」で知られる大日本除虫菊株式会社の始まりだ。

さらに上山は瀬戸内の気候条件や花崗岩の土壌が除虫菊栽培に適していると考え、普及活動に取り組むことに。明治23年(1890)には向島を訪れて無償で種を譲り、栽培指導を行った。やがて除虫菊栽培は周辺の島々にも広がり、一大産地となっていくのである。

5月の花の時期は行き交う船からも白い花畑が眺められ、季節の風物詩として親しまれた。しかし、昭和26年(1951)頃に類似化合物が開発されると除虫菊栽培も下火となり、その風景も昭和40年代にはすっかり姿を消してしまう。
小さなフェリーが尾道〜向島間の足だったが、しまなみ海道の新尾道大橋が通った今も地元の足として便利に使われている。

その後、時は流れ過去に栽培していた農家が老後の生きがいにと観賞用に除虫菊を植えたことで、30年ぶりに花畑が復活。可憐な白いじゅうたんが再び向島や尾道、因島などの斜面を彩るようになり、訪れる人の目を楽しませている。

向島にある亀森八幡神社境内には、上山英一郎を祀った除虫菊神社があり、毎年5月8日には除虫菊祭りが開催されている。

また、向島を見下ろす尾道の千光寺公園には上山翁の「頌徳碑」も建てられ、その功績を称えている。公園内の除虫菊畑から望む瀬戸内海と向島の風景。その長閑さは今も昔も変わらない。

・しまなみ海道をサイクリング

海道を気軽に自転車で巡るのも楽しい。尾道にはいくつかサイクルステーションがあり、ほとんどが1日2000円で借りられる。また途中乗り捨ても可能だ。

文/岩谷雪美

※男の隠れ家デジタルの2022年4月29日の記事(https://otokonokakurega.com/meet/curiosity/59900/)より抜粋

この記事で瀬戸内の光景を見ると、2019年に行った小豆島旅行を思い出します。

はじめての香川県・小豆島旅行記【フェリー出発前夜~小豆島到着編】】(2019年10月7日)

※☝は旅行記の最初の記事。

蚊取り線香を発明した上山英一郎さんの偉大さを感じます。この蚊取り線香がケニアにおける一大産業に育っているのですから、すごい世界貢献です。

自分自身も、ハーブ・アロマの世界においてグローバルな貢献をしてきたいという想いが強いので、刺激を受けました。

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