マレーシア・ペナン島に滞在して3日目が経過しました。
マレー系・中国系・インド系の様々な民族が交じり合う中で育まれた独特の文化は非常に魅力的です。
昨日は、マレーシア第2の都市であるジョージタウンを朝から夕方まで歩いていたのですが、一点、自分自身が日本にいる時との大きな違いがわかりました。
それは「常に、認知できる様々な香りと触れ合っている」ということです。
その香りというのは、様々な料理に使われるスパイスの香りや、サンバルなどの発酵調味料といった香りだけではなく、宗教的なお香の香りや、下水管から漏れる匂い等様々です。
日本にいた時、街中を歩いている時に、こんなに常時「嗅覚」を働かせていただろうか?
と自問してみましたが、
ガーデンにいる時や、部屋の中で精油を使っている時や、ハーブティーを飲むときは集中して嗅覚を使っているくらいで、街中では限られたタイミングでしか働かせていないことがわかりました。
「嗅覚」は人間の本能(爬虫類脳)に直結する感覚器というのは、アロマと親しんでいる方であれば知っている知識だと思います。
以前、メディカルハーブ講師のおおそねみちるさんの講座を受けた際もそのことを説明されていました。
【過去の参考記事:メディカルハーブ界の人気講師「おおそねみちる」さんのセミナーを初受講するため、茨城県へ行ってきました。】
ちょっとここで話は変わってしまいますが、一昨日、トロピカル・スパイス・ガーデンという場所へハーブ・スパイスを見に行くためにバスに乗ろうと思ったときに、我先にとバスに乗り込む人が多く、声を上げてケンカっぽくなる一面も見ました。
でも彼らの怒りの性質を観察していると、”一時的なもの”でそれが後を引くということがありません。
人々が怒っている場面を見ても、なんだかあまりこちら側は影響を受けない軽さがあります。
その一方で、東京では、朝の通勤電車の中で、肩がぶつかったなどが理由でトラブルが発生する場面をたまに見ることがありますが、すごく湿っぽい感じで、トラぶっているお互い同士が、ネガティブな気を充満させている状態がず~っと続き、近くに居合わせているだけで嫌な気分になることがあります。
ペナン島で見る人々の怒りの質と、この東京での人々の怒りの質の違いはなんなんだろう、と思いました。
これは私のあくまで仮説なのですが、「脳の使っている部分が違う」からなのではないかと考えています。
というのも前半の話に戻るのですが、常に様々な香りに触れ合い嗅覚を使っているペナン島の人々は、本能(爬虫類脳)を常時使っていて、大脳辺縁系(人間の脳)は必要な時に使うという使い方をしているが故に、負の気が滞留することなく外へ抜くことができているのではないかと見立てています。
人間が悩み、その悩みから発生する病気というのも、大脳辺縁系ばかりが働き、負の気を外へ抜けず、身体に滞留させているからなのではないか?と感じたのです。
自分の息子の話で恐縮ですが、長男は本能のみで生きているというくらいのタイプなのですが、一時的に凄く怒ったとしてもそれが少し経つとス~ッと抜けて平常の状態に戻るのが物凄く早いので、「本能を使えていると負の気を抜くのがうまい」というのは私の体感を通じて恐らく正しいと思っています。
ペナン島での滞在で「香りの大切さ」を、怒りの観察から感じたという話でした。