中学校の歴史の教科書を起点に『スパイス(香辛料)と貿易発展』の関係性を見てみました。

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先日、私が外で仕事をしていて、息子が家で定期テストのための勉強をしているときに、妻から写真が送られてきました。(以下)

15世紀末のヨーロッパの人々が新航路を開拓した理由は、香辛料を中心にアジアの産物を直接手に入れることが目的だったという内容ですが、、。

私が注目したのは、『なぜ”アジア”の香辛料を求めたのか』という部分で、

「もともとヨーロッパとアジアの間の貿易はイスラム商人が仲介していた(マージンを大きく乗せていた)為、ヨーロッパの人々にとってはアジアの香辛料は高価だったから」

という説明です。

自分が中学生の時の歴史の教科書にも、同じくだりがあったと思うのですが、教科書自体が、”テストの出題対象”という見方だったので、内容に対する興味が非常に薄かったと今振り返ってみると思います。

ハーブ・スパイスのことを探求していく中で、地中海沿岸を取り巻くヨーロッパ諸国、そして、その東側の中東諸国、さらに東のアジア諸国のハーブ・スパイスの文化を日々学ぶことになっているのですが、

今現在の脳みそに出来上がっている地図と、冒頭の教科書の内容がシャキーンとはまった感じがして、もの凄い納得感があります。

ヨーロッパの人々から見ると、常に「東」を見てきたから、際立ったアジアに関連する人・動物などを称する時に【東洋の○〇】という言い方とするんだろうなあ、と勝手思いました。

それほど人類の歴史に影響を与えてきた”スパイス(香辛料)”は、すごいと改めて思いました。。

冒頭の写真の、俗に”スペイン・ポルトガルの大航海時代”と言われる時代のスパイスにまつわる背景について、わかりやすくまとまっている記事がありましたのでご紹介します。

香辛料が貿易を発展させた!?スペイン・ポルトガルの大航海時代の背景

香辛料は古くからアジア・中東・ヨーロッパの間で取引されていた

香辛料の歴史は長く、紀元前の時代からすでに取引されていたといわれておるんじゃ。エジプトのピラミッドに眠るミイラに、アジアから取り寄せられたであろうシナモンやクローブが使用されていることがわかっておる。

またその後、古代ローマの時代になっても、そしてヨーロッパ諸国が力を持つ時代になっても、依然として香辛料(胡椒、クローブ、シナモン、ナツメグなど)は高値で取引されており、王侯貴族や中産階級の人々のあいだで常に重宝されておったんじゃ。

なぜ、ヨーロッパで香辛料が高値で取引されていたかというと…

・香辛料の殺菌作用は肉や魚などの腐敗を防ぐため需要があった
(風味も良く、食欲を増進させるはたらきもあるため重宝された)
・香辛料がアジアや東南アジアでしかとれず、輸送距離があった
・アラビア商人、イタリア商人を経由してマージンの上乗せが大きかった

上記のような理由からで、15世紀まで、インドから中東、ヨーロッパへと運ばれた香辛料貿易は、当時、世界で一番儲かった貿易といわれているほど栄えたそうじゃ。

香辛料の直接取引をもとめてインド航路を開拓した大航海時代

15世紀に入ると、ヨーロッパの国々が徐々に力をつけ、ポルトガルとスペインを中心に遠洋航海に乗り出すようになったんじゃ。

当時の世界地図にはアメリカ大陸が描かれていなかったほど、遠洋航海は未知の世界だらけで危険が伴うものだったんじゃ。しかし、15世紀後半にはポルトガルの船隊がアフリカの西海岸を探検、1488年にバルトロメウ・ディアスがアフリカの南端にある喜望峰(南アフリカ共和国のケープタウンにある岬)に到達するなど、少しずつ遠洋航海の成果を出していったんじゃ(これが大航海時代の幕開けじゃな)。

そして1497年7月、ポルトガルが派遣したヴァスコ=ダ=ガマが東回りでインドに到達し、その後インド航路の開拓が進むことになったんじゃよ。

※スペインもまた新航路を開拓していましたが、歴史的にはポルトガルが先にインド航路を開拓しました。スペインから派遣されたコロンブスが、ヴァスコ=ダ=ガマがインドへ到達する前の1492年にアメリカ大陸に到達しました。当時はその地がインドだと認識されていたため、スペインでは先にアジア(インド)に到着したのが自国だと考えられていました。

ところで、ポルトガルやスペインが遠方への航海に力を入れたのにはさまざまな事情があるんじゃが、そのひとつには、香辛料をもとめて直接アジアに進出したかったという背景がありますのう。

というのも、従来ルートではない方法でインドへ到達できれば、直接香辛料を手に入れることができる上に、商売の利権も手にすることもできるというメリットがあったんじゃよ。

実際、16〜17世紀には、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスはその利権をめぐり、争うことになるんじゃ(最終的にはオランダがインドネシアを拠点に香辛料貿易の主導権を握り、インドではイギリスが綿花や茶の輸出に関して主導権を握っておる)。

香辛料をもとめた大航海時代が海上貿易を発展させた

人類の歴史では、新しい土地、食べもの、資源、市場など、豊かさを求めて開拓されたもの、仕組みが構築されたものがたくさんあると思うのじゃが、この大航海時代のヨーロッパでは、「香辛料取引の利権」が求められていたということになりますな。

ただ、それほどまでに、香辛料がヨーロッパの人々にとって生活に欠かせないものだったということ、そしてある意味、香辛料があったからこそ造船の技術は向上し、現代につながる海上貿易が目覚ましく発展していったということを、みなさんの頭のスミに入れておいていただけたら、ワシとしては嬉しいのう。

※みんなの仕事Lab(シゴ・ラボ)の2018年4月19日の記事(https://lab.pasona.co.jp/353/)より一部抜粋

この内容を見て、ようやく「あることが起こった年」を覚える必要を感じました。

中学校時代は、年を覚えることがテストの点数を取るための半ば強制的な目的だったので、面白かったはずがないですよね。。

”ある物事への高い興味”というのが、その歴史への探求心を後押しするというのは必然的な話だと思います。

最後に、ハウス食品のホームページの「ハウスの出張授業」というページの中に「スパイスから世界が見える」というページがあるのですが、そこに非常に参考になる歴史年表が記載されていますので、以下に貼ります。

この歴史年表は、自分自身がスパイス関連の歴史を振り返るときに常に参照していきたいと考えています。

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