山梨県市川三郷町発祥の”桑(マルベリー)の最良品種”「一瀬桑」で、過疎集落の再生を目指す韓国人青年の物語

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昨日、東京都内にある山梨県のアンテナショップへ足を運んだ際に、興味深い商品を見つけたので買ってみました。(以下)

『ハンさんのおいしいくわ茶』というパウダースティックタイプのマルベリー茶です。
ネーミングにも興味を持ちましたが、私が注目したのはこちらです。『一瀬桑発祥の地』=『山梨県市川三郷町』の表記です。興味を掻き立てられる商品ですが、まずは飲んでみることにしました。
袋から取り出しました。
コップへ移しましたが、すごくいい色です。2年前に一度、マルベリーのパウダーを買ったことありますが、これよりも色が浅く元気がない印象でした。
早速飲んでみましたが、とても美味しいです。マルベリーの粒子がお互いに絡み合って、コップの中間から下はトロトロ感があり、これがまた新鮮な口当たりです。

ネーミングに出てくる「ハンさん」、そして、「一瀬桑」のことが気になるので、ネット上で調べてみると、以下の記事がしっかりと情報がまとまっていたので取り上げたいと思います。

10万本の桑で、過疎集落を再生する!韓国人青年の熱き志

10万本の桑で、過疎集落を再生する!韓国人青年の熱き志

最終更新日:2018年10月01日

国の基幹産業として、日本を支えた「紡績業」。かつて養蚕が盛んだった頃、山梨県市川三郷町発祥の「一瀬桑」は、桑の最良品種として全国に広がりました。絹の需要が減ると養蚕農家が減り、現役の農家の高齢化が進み、過疎集落と形容される地域もあります。
「市川三郷町に産業を作る」-。強い気持ちで桑を通した地域活性化に挑むのは、韓国出身のハン・ソンミンさん。なぜ、縁もゆかりもない山梨で桑を植えるのか。ハンさんの思いをお聞きしました。

日本を支えた「一瀬桑」

かつて、日本の基幹産業として、“ものづくり大国”の礎を築いた紡績業。それを力強く支えたのは、桑を栽培し繭(まゆ)を生産する「養蚕業」でした。山梨県市川三郷町は特に養蚕が盛んだった地域で、この地発祥の「一瀬桑」は、桑の最良品種として全国に広まりました。着物文化の衰退などを理由に絹の需要が減ると、養蚕農家も激減。農家の高齢化が進み、活気は失われつつあります。

もう一度、桑でこの町を元気にしたい。強い思いで立ち上がったのは、韓国出身のハン・ソンミンさんでした。なぜ、韓国の青年が山梨で桑を生産するようになったのか。始まりは、妻・楠三貴(くすのき・みき)さんとの出会いでした。2003年、韓国で恋に落ちた二人は結婚し、翌年に来日。三貴さんの父の会社が市川三郷町で桑の葉茶の生産事業を始め、それを手伝う形で事業をスタートしました。一瀬桑は肉厚で葉質も良く、甘みのある桑茶のよい原料になります。当時は契約農家に桑の栽培と収穫を委託し、買い取って製茶のみを行っていました。

農業に携わる転機

ただ、桑農家の平均年齢は75歳を超えるなど、担い手の高齢化は深刻でした。2008年、三貴さんの父から事業を譲り受け、株式会社桑郷を設立。桑の生産から携わる必要性を感じたのは、最も生産量が多い農家の長田さんが亡くなったことがきっかけでした。長田さんの妻から桑畑を山に戻すと聞き、「もったいないのでぜひ任せて」と、畑の管理を申し出ました。生活習慣病の予防効果を持つとされる、桑の葉茶に注目した大手製薬会社から大口の注文を打診されたこともあり、まさに決断の時でした。

農業の経験も知識もなく不安だったといいますが、ハンさん持ち前の情熱が勝りました。「山々に囲まれて美しく、心の優しい人が集う場所なのに、若者は働く場所を求めて出て行ってしまい、町がどんどん静かになっていく。この手で産業を創り、もう一度町を元気にする」。

そう決意し、畑を借り、草刈りや剪定、手作業での除草など、夫婦二人で畑作業に汗を流しました。

2013年、2ヘクタールの耕作放棄地に1カ月半で2万本の桑を植える、という目標を立てました。農務事務所に所属する、桑の専門家にアドバイスを請うと、畝作りや剪定の仕方など栽培のすべてを、休日を返上してまで懇切丁寧に教えてくれました。植樹の目標数を聞くと、専門家は「多くても2千本だと思った」と驚き、ハンさんの会社のメンバー数では実現が難しいと伝えます。するとハンさんは知人やSNSを通して協力を要請、全国から集まったボランティアの手を借りつつ、40日間で2万本の植樹を達成しました。翌年には、前年比2倍になる桑荒茶10.5トンを加工、2014年には農業生産法人となり、無農薬での栽培から販売まで一貫して行うことになりました。

現在までに植えた桑の木は、4万5千本。「目標は、10万本まで増やすこと。10万本を植えきれば、生産量日本一も目指せます」と、ハンさん。事業を拡大して雇用を創り、市川三郷町に若い人と活気を呼び戻したい。一貫した思いが、根幹にあります。

夢の行先は…


初めから迷いがなかったわけではありませんでした。2004年6月、結婚して来日したハンさん。最後まで息子の渡航を反対していた父は、3カ月後に帰らぬ人となりました。ハンさんは、それだけが心残りでした。

いつかは三貴さんを連れて韓国で暮らしたい、と考えていたハンさん。義父から事業譲渡を打診された日は悩み、「考える時間を下さい」と故郷に一時帰省しました。父の部屋で寝泊まりしていたハンさんは、ある晩不思議な夢を見ます。夢の中の自分は、黄金色の鳳凰(ほうおう)の背中に乗っていました。「どこへ飛んでいくのだろう」。金色の翼の間から地上を見下ろすと、そこに見えたのは富士山でした。そして、三貴さんと暮らす市川三郷町の、製茶工場。その夢はまるで、父が「日本で頑張りなさい」と語り掛けてくれているかのようでした。ハンさんの迷いは消えました。

知らない土地に外国から移り住み、最初は苦労もあったといいます。言語の違いや、日本人独特の控えめな感情表現などに壁を感じることもありました。しかし、「桑で地域を活性化させる」と、目を輝かせながら繰り返し夢を語るハンさんの純粋さに、隣人たちも次第に心を開いていきます。今では山梨の方言も使えるようになったほど、地域に溶け込むハンさんを慕う人は大勢います。

経理も担当する三貴さんは、銀行からの借り入れが重なり、心中で冷や汗をかいていた時期もあったといいます。「2人で畑を耕して何とかやってきたが、今では社長を支えてくれるスタッフさんは20人以上になりました。周りに助けられながら大きな夢を実現しようと、前進していく夫を安心して見ていられます」と、優しいまなざしを送ります。

2012年、フィリピンで国立農業大学の学長との出会いをきっかけに、桑の葉茶ビジネスの現地展開を目指して、ハンさんは2000本の桑の植樹しました。2015年には、独立行政法人国際協力機構(JICA)の案件化調査に採択、2020年頃の事業化を目指しているといいます。現地の健康志向の高まりをビジネスチャンスと捉えつつ、国境を越えて地域の産業を創りたいという思いを込めています。

最終的な夢は、若い優秀なリーダーを世界から集めて、山梨や日本、ひいては世界のリーダーとなる人材を地域で育成すること。山梨と世界の懸け橋になるという、大きなスケールの夢に向かって、一歩一歩進みます。青々とした桑畑が、次世代の若者にとっての故郷の心象風景になる日まで。ハンさんは、桑の木を植え続けます。

【DATA】
株式会社桑郷(くわのさと)
〒409-3602 山梨県西八代郡市川三郷町山保6319

※マイナビの2018年10月10日の記事(https://agri.mynavi.jp/2018_05_27_28114/)より抜粋

 

私は20代前半に2年間だけ、山梨県韮崎市に住んだことがあり、市川三郷町で行なわれていた花火大会(山梨県最大)に行ったことがあるので、この場所は少しだけ馴染みがある場所です。

ハンさんのこのストーリーを読んで、心が震えました。山梨県という土地は、あまりオープンな気質の文化ではないので、ハンさんの苦労が並大抵なものではなかったはずというのが伝わってくるからです。

今まで、マルベリーのお茶を何度か飲んできましたが、その中でもこの『ハンさんのおいしいくわ茶』はダントツに美味しいという印象を持ちました。

このパウダースティックタイプのものを飲み終えたら、次は通常のドライのものを買ってみたいと思います。

今夏、山梨県でハンさん夫婦にお会いしたいという気持ちが強くなってきました。

桑郷(くわのさと)のホームページ

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