全国ハーブサミット in 中芸 JAMHAバスツアー【モネの庭 マルモッタン-編】

※広告

昨日に引き続き、”全国ハーブサミット in 中芸 JAMHAバスツアー”をレポートいたします。

【昨日の記事:全国ハーブサミット in 中芸 JAMHAバスツアー【牧野植物園 ”ハーブランチ~展示館~園内散策” -編】】(2021年11月4日)

牧野植物園を出て、初日の宿に戻る予定だったのですが、翌日の朝に行くことになっている、「モネの庭 マルモッタン」のライトアップが綺麗だという情報がJAMHA(日本メディカルハーブ協会)の統率員の耳に入ったようで、宿に戻る前にモネの庭を経由してから宿に戻ることになりました。

牧野植物園を出て、約1時間半で、ライトアップ中のモネの庭に到着。

こちらがライトアップ中のモネの庭。確かに綺麗ですが、睡蓮はほとんど見えません。
若者カップルが非常に多く、駐車場がかなり混雑していました。バスの運転手も、モネの庭がこんなに混んでいるのを見たことがないとおっしゃっていました。

ライトアップ中のモネの庭を出て、宿に戻りました。

宿の夜ご飯の時に、柚子ビールを飲みながら、参加者として参加されていた佐々木薫さん(日本のアロマセラピーの第一人者)とゆっくりお話ができたのは貴重な時間でした。

翌朝、改めてモネの庭へ向かいました。(やはりモネの庭は日が昇っている時に見なければ意味がないです。)

なんと、モネの庭をガイドしていただくのは、9月26日の情熱大陸にご出演された庭園管理責任者の川上裕さんです。こんな贅沢な時間はありません。

ここで、「モネの庭」ってなんなの?と思っている方もいると思いますので、公式ホームページの「モネの庭とは」から以下に抜粋したいと思います。

モネの絵の中を歩く

この庭は、モネがこよなく愛したフランス・ジヴェルニーの庭をモデルに創られています。
色とりどりの睡蓮とゆらめく水面、太鼓橋や藤棚、バラのアーチ、混ざり合う光と花の色…
庭を散策すると、彼が描いていた風景をかいまみることができます。
水鏡に映る木々や草花の美しい様子は、北川村のまぶしい光と青い山海を背景に

四季折々の自然模様を描きだし、草木の成長とともにその姿を変えていきます。

“光の画家”モネが描いた理想の庭

印象派の巨匠クロード・モネは、列車の窓から見たジヴェルニーの景色の美しさに心奪われ、43歳でフランス北部にあるジヴェルニーに移り住みました。そして、セーヌ渓谷の肥沃な土地に、理想の家と庭を作りあげました。

ジヴェルニーの庭は彼の創造の源泉となり、「睡蓮」などの多くの名作を生み出す舞台となりました。 北川村「モネの庭」マルモッタンは、この庭と家をクロード・モネ財団の指導を仰ぎながら、彼の精神と共に再現したものです。

モネの生涯

クロード・モネ(1840〜1926)

印象派の巨匠クロード・モネは、1840年11月14日パリのラフィット街に生れます。少年時代はノルマンディの片田舎で過ごし、その恵まれた自然によって風景画に対する情熱を得ますが、経済的理由により、セーヌ河口の港町ル・アーブルへ移住。1859年パリの自由画塾アカデミーシュイスとシャルルグレルの画塾に入ります。1874年ルノワール、シスレーらと「画家・彫刻家・版画家・無名芸術家協会」を結成、新しい画風による製作を試み1880年に官展入選、初めての個展を開きます。日本の浮世絵に興味を持ち、コレクションを始めたのもこのころです。この仲間達との展覧会に出品した「印象・日の出」というモネの作品名から「印象派」といわれるようになりました。
1883年にジヴェルニーに居を定めて、庭づくりと創作活動に励み晩年には名声を得て裕福な生活を送ります。白内障に苦しみながらも、死ぬ間際までオランジュリー美術館に展示されている大連作の「睡蓮」を制作し、1926年12月5日86歳でこの世を去ります。

自然をこよなく愛したモネと
ジヴェルニーという理想の場所

ジヴェルニーの庭は“光の画家”モネの創造の源泉とも言える存在でした。
モネは自ら草花や木の種類を選んで庭に植えていました。

それはまさに自分のキャンバスの上に絵を創作するのと全く同じで、

後に「まるでパレットのような庭」「生きた美術館」と評されました。
彼はこの庭に3つの温室を建て、6人もの庭師を雇い、世界中から(もちろん日本からも)珍しい植物を集めるなど、大変な情熱を傾けました。実は多くの名作を生んだこの庭こそ、モネの最高傑作だったといえるのかもしれません。

「道楽や目の保養のためばかりでなく 絵の題材として庭を作りたい」

ジヴェルニーに移り住んだモネは手紙の中でこう語っています。
「私は歓喜に酔っている。ジヴェルニーは私にとって最高の場所だ。」
理想の庭園を造り、美食を楽しみ、そして数々の名作を生み出し続けたモネは、

生涯を閉じるまでこの地を愛しました。

モネと浮世絵

浮世絵は、モネをはじめルノアール、ゴッホ、ドガなど多くの印象派の画家達にインスピレーションを与えました。浮世絵の色使いや構成が、彼ら西洋の画家達を魅了したのです。北斎、広重、歌麿、モネは1870年頃から浮世絵のコレクションをはじめ、その生涯を閉じるまでコレクションは続きます。ジヴェルニーの家には、今もすばらしい浮世絵コレクションを見ることができます。また、浮世絵の影響は作品の中にとどまらず、庭の睡蓮、藤の花、太鼓橋、そしてキッチンやダイニング、読書室などのインテリアは浮世絵の色使いに合わせてデザインされました。

この内容を見ると、日本の浮世絵のことをもっと勉強したくなります。世界的な画家の多くにこんなにも影響を与えていたとは。。。

では、モネの庭マルモッタンの日中の顔の写真を貼りたいと思います。

一瞬たりとも同じ景色は再現されない光景に心を奪われます。
このように俯瞰でみると、日本の影響を受けていたことも伝わってきます。緻密な計算の積み重ねによって、モネの庭が成り立っていることも川上さんの話でわかりました。
ジルヴェニーでは咲くことの無かった青い睡蓮。10月31日に行ったときは、睡蓮が開き始めるのは10時半くらいからでした。その後6時間くらい開いたあと日が落ちてくると花も閉じます。
こちらに青い睡蓮の説明があります。
元々、モネの庭の場所には、地域発展の為、工場団地誘致の計画があったそうなのですが、フランス・ジルヴェニーとの交流が生まれ、方向転換して2000年に開園にこぎつけたとのこと。もともとは、京都に作られる予定だったそうなのですが、京都側の事情、及び、北川村の熱意によって、現状があるとのことです。
モネの有名な「睡蓮」。私もこのミニチュア版を園内のショップで買いました。

👇にモネの庭の園内マップを貼ります。

こちらが、ボルディゲラの庭。雰囲気がガラッと変わります。

地中海らしく、オリーブの木もあります。
こちらが、花の庭。ものすごく美しかったです。

川上さんとの時間が終了したあと、園内で、タッジーマッジー歴30年の先生に、その作り方を教わりました。

 
 
 
 
 
この投稿をInstagramで見る
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

S.Kayamori(@enjoyherballife)がシェアした投稿

中世ヨーロッパでは魔除けがわりだったので、どの方角からも狙われないよう均等なバランスをとるのが大切であることを学びました。

しかもその形状がとてもお洒落で家に飾りたくなります。ガーデニングのモチベーションが上がりました。

モネの庭での貴重な時間も終わり、次の目的地に向かうことになりました。

モネの庭 マルモッタンの情報

Like! Provence – プロヴァンスが大好きな、貴方へ。(バナーをクリック!)

名前 (必須)メールアドレス (必須)サイト

コメントを残す