トマトは毒のある魔の果実と信じられていた?コロナ禍のイタリアでオリーブオイルが毒扱い?「毒」の本質とは何か。

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ハーブの世界で、色々と情報に触れていると、「禁忌(きんき)」という単語をよく目にするようになります。定義としては、「不適当で患者の予後を大きく悪化させる術式、検査、投薬、調剤等」(Wikipedia)と書かれています。

「妊娠をしている人には、このハーブの摂取を注意する必要があります」

「この持病を持っている人には、このハーブの成分はマイナスに働きます」

「ハーブAとハーブBの組み合わせは、この働きを助長するので避けて下さい」

という類の注意事項と捉えるとわかりやすいと思います。

一定の条件下では薬として働くけど、この条件下では良くない効果(=毒)がでる恐れがあるという情報が身近になるので、”薬と毒は表裏一体”という感覚になります。ハーブの世界に触れる前は、毒は「絶対的なもの」という感覚でしたが、ハーブの世界に触れると毒は「相対的なもの」という感覚に変化しました。

上記の太字の例は、相対的なものというのがすぐ理解できますし、人間にとって猛毒だったとしても、他の動物や昆虫にとっては無毒なケースが多いと思います。

今日触れたニュースで、その毒の本質の理解を深める良い記事がありましたのでご紹介します。

創造性を育む「毒」との対峙の仕方。ポストコロナに向かうべきは超清潔社会か

齋藤由佳子(社会起業家 / 株式会社GEN Japan代表)

もう2カ月以上コロナのために封鎖されたイタリアの地方都市で隔離生活を送っている。

かつて日本人の観光客がマスクや日傘をしているのを奇妙に観察していたイタリア人が、いまやマスクをして買い物に出かけ、家の玄関で靴を脱ぎ、家に入るやいなや入念な手洗いをするという日本的ともいえる新しい生活習慣の中で暮らしている。

ついこの間までスーパーの片隅に申し訳程度に置かれていたハンド用の消毒液は、今やレジ横に並ぶ主力商品だ。店舗の入り口に除菌液スタンドと過密を避けるための入場整理券が置かれているのも日常の光景となった。この数週間でイタリアの衛生観念は革命的に変化したと言える。そのうち日本のように「除菌効果」を謳う新商品がどんどん発売されるのかもしれない。

他にもコロナ禍のイタリアで飛ぶように売れているものがある。トマトソースと小麦粉だ。今やイタリア料理の代名詞といえば、トマトソースたっぷりのピザやパスタというのが世界の常識である。

実際は、私が住む北イタリアのピエモンテでは伝統料理と呼ばれるものにトマトソースを使う文化はなく、山に囲まれたこの辺りでは濃厚なバターやチーズ、ワインやハーブがソースとして主流だ。それでも非常時には、この手軽に作れ、子供から老人まで愛される国民食が選ばれる。しかし意外にこの国民食の食文化としての歴史は浅い

毒があるものを「文化」に昇華する人間のクリエイティビティ
トマトがスペインからイタリアに入ってきたのは16世紀のナポリだが、長らく貴族の観賞用として食べられることはなく、200年もの間は食べ物として無視されていた。料理に本格的に使われ、現在のピザやパスタの食べ方が広まったのはやっと19世紀後半のことである。トマトはイタリア語でポモドーロ、Pomo doro、すなわち黄金の林檎と呼ばれ、美しいが「毒のある魔の果実」と信じられ敬遠されていた。

食用化のきっかけは諸説あるが、飢餓に苦しんだ貧しい農民が命がけで食べ、その後南イタリアを中心に試行錯誤の品種改良が進み、食用としての栽培が広がり、現在にいたるという。

毒がある植物を時間をかけて食用にしてきたという歴史は、実は日本にもたくさんある。

東北では栃の実が有名だ。餅などにするこの栗に似た実は、毒性もあるサポニンという成分が多く含まれ渋みが強くそのままでは食べられない。

南の地域では、奄美大島や沖縄などに見られるサイカシンという毒があるソテツが挙げられるだろう。一般には観葉植物としてよく知られるが、南の島々ではソテツの実や幹からデンプンを取り出し、庶民の命をつなぐ救荒食として大切にされてきた。サポニンにしろ、サイカシンにしろ、これらの植物の有毒成分を無害化するには、流水にさらし発酵させるなど膨大な時間と手間がかかる。

私は世界各国の食文化の専門家を相手に、このような日本の地域の伝統的な知恵を学んでもらう教育プログラムを展開しているが、木灰液や麹などを駆使して、食べられないものを何とか食べられるようにしてきた日本人の知恵を紹介する度に驚かれる。植物資源は世界中にあるのだから、これらの知恵が世界レベルで積極的に交換されれば、食糧不足に悩む地球のサステナブルなソリューションとして応用も期待される。

ちなみにソテツは日本だけでなく、アフリカやメキシコ、オーストラリアでは原住民のアボリジニが伝統的に食用にしている。他にも毒性あるものを活かしてきた、生きる知恵は世界中にあるだろう。


歴史上、人類は試行錯誤を繰り返し、食べ物の多様性を広げて進化してきた。(GettyImages)

毒を完全排除する社会に進化があるのか
かつて人間は毒があるものにも対峙し、創造力を駆使し、試行錯誤を繰り返し食べ物の多様性を広げながら進化してきた。それが昨今はどうだろう。毒を徹底的に社会から遠ざけ、排除し、食においての危険はほんの少しも許容できない。それが現代社会の人間とシステムになりつつある。

食のグローバル化がその動きを加速してきた。

例えば和食に欠かせない鰹節は、いぶす製造過程で発がん性物質「ベンゾピレン」が生成されるからEUに輸出できないという話があった。しかし、この制約をバネにした方がいいことも紹介したい。築地の老舗鰹節生産者「和田久」が果敢に毒とみなされた鰹節の限界に挑み、自らスペインへ移住し創意工夫を凝らし、EU基準であらたな生産手法を編み出したのだ。鰹節が異文化によって毒と見なされる事態になったからこそ生まれた現代のイノベーションのひとつだ。

毒を含む食品の代表として日本の「ふぐ」がある。刺身の透き通る美しさや、皮まで活かした煮こごりなどの多様な調理法含め日本に勉強に来る外国人研究生には一度は知って欲しく度々プログラムに取り入れている。しかし、あるイタリア人科学者は万が一毒にあたったら困るからと、ひれ酒さえも口にしなかったことがあった。言うまでもなくひれに毒はない。

一方、イタリア人が日常的に何にでもたっぷりとかけ、健康に良いとされてきたオリーブオイルは、このコロナ騒動で突然に重症化を引き起こす原因だと毒扱いされた。昨日までの慣れ親しんだ食品が、突然として排除されるという混乱に皆がたじろいだ。

消毒作業をするイタリア
イタリアでは都市封鎖が徐々に解除され、各地で消毒作業が進んでいる。(GettyImages)

そんな今だからこそ、人間にとって毒はどのように働いてきたのか改めて考えたい。免疫の働きを考えれば明らかなように、徹底的にリスクを排除した超清潔社会は私たちにプラスとなるのかは懐疑的だ。適度に毒にさらされることで人間は抵抗力を培い、多様な環境に適応することが可能になってきたのではないか。

そして食べ物は、その土地の環境と人間に最適であるよう、数百年の時を経て私たちの食卓に昇っていることも思い出さなければならない。無知は無用な恐怖を生む。情報過多な現代の毒消しの特効薬は、情報に翻弄されず、自らの頭と五感を使って学ぶことだと言えるだろう。

自分たちの土地や文化に最適化された食品、目には見えないけれど私たちを守ってくれる常在菌、環境や風土は勇敢な私たちの祖先が、毒をも恐れず何百年もかけ、渡してくれたバトンである。地球の裏側のスーパーフードを、CO2を排出し、複雑な行程と高い関税を支払って購入する前に、足元にある食が私たちの命を支えるために進化してきたという事実を知り、感謝して享受したい。

食という文化のフロンティアを知れば知るほど、地球上に存在するもの全ての繋がりに思い知らされる。たとえ人間には毒と言われるものも、地球のどこかで何かに活かされている。新型コロナウイルスですら、数十年かけても望めなかったレベルで私たちの経済活動を抑制し、地球環境の悪化を食い止めていると言われているのだから。この世に存在しているものには、私たち人間には計り知れない、大いなる役割があるのだろう。

コロナで一変した世界は私たちに問う。私たち人間は、不要と決めつけた毒を社会から徹底的に排除し、理想とする世界を目指すのか。それとも毒とも対峙し、調和へ向けて創造する社会を築くのか。ひとつの解は、ダーウィンの言葉にあるかもしれない。進化するものは、強者ではなく新たな地球環境に適応するものだ。

消毒作業が進むイタリア
リスクは完全に排除することはできないが、私たちにはできることがある。(GettyImages)

コロナを経験した世界が目指すべき寛解の社会とは
イタリアをはじめとする新型コロナウイルスによる封鎖から解除されつつある世界は、新しい環境にどう立ち向かうのか。

もちろんコロナはトマトや栃の実のように植物に含まれる毒性とはわけが違う。医学と科学の世界の頭脳を集結して対峙していくべき危機であり、恐れるに足りる大きな悲劇を世界中に巻き起こした新たな毒であろう。しかし、この未曾有の事態はおそらく理由があって2020年の私たちの前に立ちはだかっている。

医学用語で「治癒」とは完全に体から毒を退け、完治することを指す。それに対して「寛解」とは、病気に適応し、病状が治まっておだやかになるが、治る可能性も再発する可能性も含んでいる状態だ。おそらく私たちがこのコロナの自粛解除の後に迎える世界は、寛解の社会だ。

ガン細胞やHIVのように、新型コロナのセカンドウェーブというリスクは完全に排除することができないが、暴走しないよう、コミュニティが団結し、お互いを支え合いながら共存していくことを考えていく。

いまコロナ感染者に対して、行きすぎた社会的排除が日本で起こっていることを耳にする。世界との連携も、地域コミュニティの団結も無視して、この先の日本社会が難局を乗り越えられるのだろうか。もしこの事態をバネに、日本の社会が今後も発展する可能性があるとしたら、感染者や弱者を排除せず、あらゆる知恵と創造力を束ねて、危機にまっすぐと対峙していくしかない。世界の多くの国は、そのような方向に向かっていると感じている。

生物学的上、単一種族しかいない画一的な世界はもろく、一気に滅びるリスクが高い。毒とされるものを含めて、多様性を守ることは予測できない世界の変化に対する未来への保険だ。近視眼的に今年、来年の目先の経済復興を目指すのではなく、今こそ本質的に、目指すべき未来を描こうという気運が世界に満ちて来ていることを、ここヨーロッパでリアルに感じている。

今回のコロナの無毒化には、トマトのように200年とは言わないが短くない年月がかかるかもしれない。しかし勇敢に粘り強く、切磋琢磨と新しい世界を目指ざし始めたものから進化する。歴史を辿れば、私たち人類がそのような文化的な進化が出来ることは明らかだろう。

Forbes Japanの2020年5月22日の記事(https://forbesjapan.com/articles/detail/34578)より抜粋

ミクロの視点とマクロの視点が融合し、且つ、現在の状況を歴史的な事実を振り返りつつ見極めていく視点が面白いです。

今後、ハーブ・アロマの知見を深めていく上での、視点の持ち方を教えられたように思いました。

”新型コロナのパンデミック”は、様々な物事の本質が浮き彫りになっていくことでもあるので、今の過ごし方というのは今後の人生に大きく響いていくのではないかと感じます。

今回の記事に出会ったことで、気持ちがキリっと引き締まりました。

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