日本の中で、「薬のまち」はどこか?
と聞かれたら、富山と答える人が多いのではないかと思います。以前、富山の和漢薬問屋『池田屋安兵衛商店』へ訪問し、富山の薬の歴史を学んだことがあります。
【過去記事:富山の和漢薬問屋『池田屋安兵衛商店』訪問レポート【富山の薬の歴史編】】(2018年11月27日)
富山が薬の街として発展する礎となったのは、1690年(江戸時代)であることが記されていました。
そして先日、”奈良県宇陀市”の薬との関わりは、古墳時代から飛鳥時代に遡ることを知りました。
【過去記事:ロート製薬とツムラの創業者が兄弟? 彼らが生まれた「薬のまち」宇陀市について】(2021年9月25日)
ここに書かれていた情報は、目から鱗の内容が多く、自分の中での奈良県の魅力がグッと高まった記事でした。
今日は、”京都”の老舗和漢薬販売店の跡継ぎストーリーが興味深かったので取り上げたいと思います。
あわや廃業「老舗感がすごい」創業320年の薬店 跡継ぎは赤の他人「運命感じた」
創業320年の和漢薬販売店「平井常榮堂(じょうえいどう)薬房」(京都市左京区)が29日限りで店を畳んだ。当初は廃業予定だったが、市内在住の薬剤師の女性が事業や店名を引き継ぎ、来月に別の場所で再出発することになった。不思議な縁で老舗ののれんがつながり、店主の男性は「後継者ができるとは。ありがたい」と感慨深げに語る。
同店は1701(元禄14)年、川端通二条下ルの鴨川沿いで創業した。店のたたずまいは往時の趣そのままで、漢方薬や日本古来の薬草など約500種を扱う。先祖伝来の薬だんすやオランダ語表記の商品看板、素材を粉末にする薬研(やげん)といった古い道具も並ぶ。
8代目店主の平井正一郎さん(72)は30歳で結婚し、家業に打ち込んできた。便秘、不眠、疲労…。客の悩みに対し、不調の原因を探る。「話をしっかり聞き、顔色や息づかいも観察して薬を選ぶ。生活習慣のアドバイスを含め、その人の体全体を整えるお手伝いをしてきた」と話す。
だが、薬草類を煎じる手間やにおいが敬遠されるなど時代の変化もあり、「子どもに店を継がせることは考えなかった」。父の死去に伴う相続の問題も数年前に持ち上がり、やむなく廃業を決めた。
そんな時に出会ったのが、薬剤師の古川和香子さん(47)だ。福井県出身。大学で漢方や薬草を勉強し、卒業後に京都市内の漢方を扱う診療所で働き始めた。いつか、自分の店を持つのが夢だった。
当時から平井さんの店は気になっていたが、「老舗感がすごく、入る勇気がなかった」と苦笑する。いったん京都を離れたが、数年前に戻り、昨夏に意を決して初めて店内へ。ずっと店に興味があったこと、漢方などを長年勉強してきたこと―。平井さんとの話は盛り上がり、初めて見る薬草や古道具の数々に胸が躍った。
2度目の訪問時。古川さんに開業の意志があることを知った平井さんは店じまいの考えを告げ、「お客さんの行き場がなくなる。商品を引き継いでほしい」と切り出した。古川さんは「驚いたけど、運命を感じた。開業の決心がついた」とその場で承諾した。
それからは毎週のように店に通い、薬の保管や仕入れ、客のことなどを教わった。「店への愛情がさらに湧いた。お客さんにとっても安心感がある」として、道具類とともに店名も継ぐことを決意。今夏、府事業承継・引継ぎ支援センター(下京区)のサポートで正式に事業承継し、9代目店主に就くことが決まった。
移転先は左京区高野西開町で11月8日に開店。古川さんは薬剤師のため、漢方の調合ができ、扱える生薬の種類も増える。「平井さんのようにしっかり話を聞き、その人に合った薬を提案したい。まだ見ぬ10代目にバトンをつなぐのが私の役割」と意気込む。
平井さんは「彼女は実直な性格で、知識や情熱もすごい。場所は変わるけど歴史がつながり、ご先祖様に顔向けできるかな」と笑みを浮かべ、「これまでも時代に合わせ、変化を続けてきた。気負わず、自分なりのやり方で頑張ってほしい」と9代目にエールを送る。
(まいどなニュース/京都新聞・堤 冬樹)
※まいどなニュースの2021年12月11日の記事(https://maidonanews.jp/article/14498174)より抜粋
創業320年の和漢薬販売店の命のたすきが引き継がれ、とても嬉しい気持ちになりました。
老舗の店主というと、「こうしなければいけないぞ」とついつい押し付ける人が多そうなイメージを持ってしまうのですが、平井さんは全くそんなことはなく、”古川さん自身のやり方で頑張って欲しい”とエールを送っているという記載を見て、今後が非常に楽しみになりました。
京都訪問の際は、必ず訪問すべき場所になりました。