昨年、東京・青山の国連大学で開催された、薬草大学NORMで、阿蘇薬草園の民間薬草研究家 井澤敏さんが講演された時のことは、過去の記事でお伝えしました。
【過去の参考記事:はじめての「薬草大学NORM」で、充実した時間を過ごしてきました。】
この薬草大学NORMで、隣の席に座った方が、「株式会社未知の駅」代表・諫山三武さんだったのですが、実はこのひとから、以前ご紹介した、ブルガリアの高山ハーブ「ムルサルスキー」の存在を教えていただきました。
ブルガリアワインのことについて取材しにブルガリアへ行った際、現地でムルサルスキーの事を知ったそうです。
【過去の参考記事:ブルガリアの高山地帯に生育する「ムルサルスキー」というハーブが凄いという話を聞いたので、概要を調べてみました。】
この薬草大学NORMのイベントの時に、井澤さんと諫山さんが会話をされていたのは記憶していたのですが、それから数カ月経ち、諫山さんが素晴らしいプロジェクトを立ち上げられていたことを知りましたので、ご紹介します。(以下)
火災と熊本地震に負けない!被災で失った薬草の本を復活させるプロジェクト
民間薬草研究家・井澤敏さんの長年の研究の集大成である書籍『先人達の知恵 薬草・薬木の家伝秘伝』再版プロジェクトです。平成20年に火災で本の在庫とデータが焼失。さらに平成28年の熊本地震に被災。自宅、店舗、そん工場、山を失い、長らく再版できずにいました。今回はそんな井澤さんの本の復活を応援します!
プロジェクト本文
“今もなお脈動する火の山・阿蘇の力強い大地に育まれ、自然の激烈な生存競争で生き残った生命力あふれる薬草をいただき、民間薬草研究家・井澤敏の指導のもと、古来より伝わる知恵と現代の技術を合わせて、健やかな心体を養い保ち未来へつなぐお手伝いをしています。”(阿蘇薬草園HPより)
井澤敏(いざわさとし)さん
「阿蘇薬草園」(熊本県)は民間薬草研究家である井澤敏さんが平成2年に開園した薬草園です。山で育てた薬草を工場で加工し、薬草茶、ハーブティー、薬草飴といった生産物を店舗で販売しています。一般向けに薬草教室や講座も開いており、近年では特に健康志向の若い女性たちから非常に人気を集めています。
新しい医療の在り方を提案する井澤さん
店舗にはたくさんの女性客が訪れる
「気分爽快茶」
開園当初から井澤さんが掲げているモットーは「農薬NO(使用しない)・化学肥料NO(使用しない)・草取NO(草は取らず刈り倒し他の植物と共存)」の「3NO主義自然農法」。ヨモギ、オオバコ、カキドオシをはじめとした和の薬草、それにブラックペッパーミント、アップルミント、レモングラスといった洋のハーブなど、約50種におよぶ薬草・薬木を育てています。
もともと南阿蘇村で工場、店舗(物販・飲食)、体験講座を運営していましたが、平成20年、工場の乾燥機からの出火が原因で自宅も工場も店舗も、全て失ってしまいました。その時に、平成9年に井澤さんが自費出版した書籍『先人達の知恵 薬草・薬木の家伝秘伝』の在庫と元データも失ってしまいました。
火災時に大量の煙を吸ってしまい、心筋梗塞で入院した井澤さん。身体的にも精神的に大きなショックを受けた被害でした。それから約半年後、脳梗塞で倒れ、井澤さんは左半身不随になり、言葉も出ない、手も足も全く動かせない身体障害者に認定されました。
しかし朦朧とした意識の中で、
「自分は人々の健康のために民間薬草文化を広めるんだ。自分がやらなくちゃいけない」
と決意。薬草やリハビリのおかげで、自分で歩き、車を運転し、講演会を開くことができるようになるなど、奇跡的な回復を遂げました。無事退院し、気持ちを新たに阿蘇薬草園を再建しました。ところがその8年後、今度は平成28年、熊本地震で山が崩落。自宅、工場、店舗もろとも再び全て失ってしまいました。2度目のショックは更に大きく、薬草園の山全体も失うこととなり、井澤さんは突然の心不全、心筋梗塞、被災生活による疲れも重なり、半年間で4回の入退院を繰り返すこととなります。
めちゃくちゃになってしまいました
これにより薬草の収穫・商品の製造は制限され、好評だった炭火焼食処や教室・講座は閉鎖を余儀なくされました。園内は土砂崩れのため立入りが規制され、家屋は既に取り壊されています。たった8年の間に2回も被災し、たくさんのものを失ってしまいました。被災からの復興のため、ようやくとりかかろうとしていた書籍の再販計画がますます遠のいてしまいました。
現在は更地になっています
人気の観光スポットでもりました
しかしそんな状態でも井澤さんは諦めませんでした。薬草の力に頼りながら心と身体を整え、平成29年に3度目のスタートを切ります。今度は、新天地として阿蘇の原点ともいえる「阿蘇神社」が鎮座する地に「阿蘇薬草園」を移設することになりました。現在、圃場(ほじょう:農産物を育てる場所のこと)を阿蘇市に移し、薬草・薬木を移植する作業を進めつつ、これまで培ってきた集大成をもとに、薬草の生産体制を見直し、阿蘇を中心に拡大化、生産から販売までを安心・安定して行える仕組みづくりを進めています。
井澤敏さんは昭和18年、熊本県東区戸島町に生まれました。現在75歳です。生まれつき体が小さくひ弱だった井澤さんは、幼少期から祖母に預けられて育ちました。アレルギー体質で、風邪をよく引き、中耳炎で左耳が全く聴こえず、ひどい喘息を患い、「いつ死んでもおかしくない」という状態でした。
そんな井澤さんが病に負けず今日まで生きてこられたのはほかでもない「薬草」のおかげでした。いつも祖母と一緒に行動していた井澤さんは、祖母と近所の人たちの井戸端会議で漬物や薬草の話をよく聞かされていました。腹痛や下痢にはゲンノショウコが良いだとか、漬物の美味しい漬け方だとか、そういった「おばあちゃんの知恵袋」のような話です(井澤さんの中耳炎の耳垂れはヨモギとユキノシタという薬草で治すことができました)。
自然遊びが大好きだった井澤さんは、薬草の話になると耳を傾け、薬草の効能・効果を少しずつ覚えていきました。4〜5歳から山に入るようになり、7〜8歳になる頃にはナイフと塩は常に持ち歩き、山で薬草や木の実を採取するほか、ヤマドリやキジなどの鳥を罠で捕まえて山で焼いて食べていました。生きるために必要なことはすべて山から教わって生きてきました。高校卒業後、井澤さんは国鉄に勤めていましたが、やはり薬草文化への興味は尽きず、平成2年から本格的に薬草文化の普及活動を始めました。こうして始まったのが先述の「阿蘇薬草園」です。井澤さんは人生の大半を民間薬草文化の研究・普及に捧げてきました。
井澤さんが平成9年に自費出版した書籍『先人達の知恵 薬草・薬木の家伝秘伝』は、長年の研究成果の集大成と言える1冊です。約250種におよぶ薬草・ハーブの効能を紹介したり、薬草の使い方を「飲・食・浴・塗・洗」という5つの切り口から紹介したりしている、いわば薬草の入門書です。非常に実践的で”使える一冊”となっています。今回のプロジェクトでは従来の内容をよりわかりやすく再構成し、タイトルや装丁なども再考した新装版として出版したいと考えています。心と身体の問題に悩む人たちにとって、この本が何かヒントになると幸いです。
なお今回のプロジェクトを進めるにあたり、編集制作・出版を手がけている「株式会社未知の駅」(代表・諫山三武)が実務面(クラウドファンディングと編集作業)をサポートいたします。
※編集者・諫山は2018年9月9日、東京で行われた薬草の講演会で井澤敏さんと初めて出会いました。心と身体に癒やしをもたらす「薬草」のスペシャリストである井澤さんの活動理念、そして被災で本を焼失した経緯などを伺い、なにか自分にできることはないかと考え、今回のプロジェクトを応援させていただくこととなりました。
制作スケジュールは下記の通りです。
(2018年)
11月24日 プロジェクト発足、井澤敏さんとの打ち合わせ@熊本
12月15日 クラウドファンディング立ち上げ準備開始
(2019年)
1月上旬 クラウドファンディングスタート
編集作業開始
5月上旬 校了・印刷へ
6月20日 一般販売開始(予定/版元は株式会社未知の駅)
中央=諫山三武(編集者)
右=井澤敏さん
※クラウドファンディング―(Campfirehttps://camp-fire.jp/)より抜粋
このプロジェクトに賛同する場合の具体的メニュー、及び、リターンについては以下のページの後半に記載があります。
私も今晩、支援をさせていただきます。
薬草大学NORMに参加した時に、熊本地震の影響で阿蘇薬草園、及び、井澤さんご自身の身体が大変なことになっていたことは直接伺っていましたが、これほどの困難が伴っていたことは全く知りませんでした。
詳細な状況を具体的に文面に落としていただいたこと、及び、こんな素晴らしいプロジェクトを立ち上げていただいたことに感謝しています。
諫山さんはまだ20代なのですが、活動力溢れる本当に魅力的な方で、私自身もすごく刺激を受ける存在です。
このプロジェクトについては今後もしっかりとウォッチしていきたいと思います。