最近、花屋の前を通るとこんな光景を見たことがないでしょうか。
多様な形状、色素のエキナセアが流行りなのか、本当に見る頻度が高いです。
私は、以前、JAMHA(日本メディカルハーブ協会)のメディカルハーブ検定テキストの表紙に載っていたエキナセアの雰囲気に魅力を感じ、庭に植えました。
以下が、今も咲いている庭のエキナセアです。
私自身、エキナセアの形状に大きな魅力を感じています。花の中心が突き出ている形状が、今を精一杯生き抜いているような姿に見えて、背筋をピンを張らせてくれるハーブです。
人工交配の内容によっては、そのハーブが本来持つ魅力が維持されているケースもあると思いますが、冒頭の写真の黄色のエキナセアの形状は魅力を感じません。
エキナセアが本来持つエネルギーが、かなり削ぎ落されてしまったように感じるのです。
多様な形状、色素を純粋に楽しめる人もいるとは思うんですが。。。
エキナセア以外の花や、果物でも人工交配は一般的に行われていますが、人工的に交配をするという行為のモチベーションは、
「こんな味・色・形状のものができたら、美味しい・珍しいと思ってくれて高い値段で買ってくれるよ!」
という部分が大きいのではないでしょうか。
人間のエゴ的な思惑が源泉になっているケースがほとんどなのではと思います。
人工的に手を加えて、魅力がアップする場合と、そうでない場合があると思います。
例えば、スマホのカバーの形状・色素にバリエーションを加えていく場合、相対的に魅力がアップすることが多いと思います。なぜなら、ベースとなるもの(スマホのカバー)は人間が作ったものだからです。
しかしながら、自然界のものに手を加えて、形状・色素にバリエーションを加えていく場合、相対的な魅力は必ずといっていいほど低下すると思います。
自然の叡智が作り出した「本質」に勝てる魅力は存在しないということだと思います。
そもそもハーブの魅力というのがどこにあるのか?と考えてみると、そのハーブが持つ「エネルギーの強さ・形状・香りの多様性」というのが私の感覚です。
だから、見た目の形状・色素・香りを人工的に変化させていくということは、本来のエネルギーの強さを歪めてしまう形になり、急速に魅力がなくなっていくのだと思います。
風水というのは、人工的に手を加えてエネルギーの形状が壊れてしまったものを、自然の気の流れに沿うように戻すというのが元の意味のように思います。
だから、風(かぜ)と水(みず)という文字がついているのではないかと感じます。
これは人間関係にも当てはまると思います。
ハーブガーデンでハーブと触れ合うという行為は、いわば本質との触れ合いにもなるので、エゴの強い人間を見抜く力は自然に養われていくと思います。
外面は優しい顔して、実は内面は搾取することばかり考えている人間が居たりしますよね。
その場合も、ハーブと常に触れ合っていれば、外面の不自然さもキャッチする感覚も自然に養われていくのではないかと自分の実体験から感じています。
そう考えてみると、ハーブガーデンでのガーデニングという行為は、脳波や人体に与える影響は想像以上に大きいものかもしれないという気がしてきました。
過去を振り返ってみると20代のとき、定年退職をした60代が庭仕事に没頭していく姿を見て、「やることがなくなった人がやるもの」という大きな偏見を持っていた自分が恥ずかしいです。。