大阪旅行中に知った、「荏胡麻(えごま)油」でかつて栄えた大山崎町(京都)について

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3月9日~今日まで、家族で大阪旅行に行っていました。

串揚げを食べたり、たこ焼きを食べたり、、もちろん食を楽しんできましたが、一番の目的はユニバーサル・スタジオ・ジャパン(家族全員初めて)でした。

かなり驚いたこととして、今までメガネをする”3D”アトラクションが主流でしたが、今はメガネをせずにリアルな立体映像を体感できる”4D”アトラクションに徐々に置き換わっているのですが、そのリアル感が物凄かったことです。

個人的には、ディズニー系よりも段違いに面白かったです。

3月9日の午前中に大阪に到着し、串揚げとたこ焼きを食べたあとに、ホテルへ直行し、テレビをつけたのですが、その時に興味深いニュースが流れていました。

京都にある「大山崎えごまクラブ」という地域クラブが、えごま油のイベントを開催していて、えごま油の搾油体験や、えごまを使ったランプを作ったりしていたのですが、

ニュースの中で、「大山崎」という土地は、荏胡麻(えごま)油でかつて栄えた場所という説明がされていました。
※えごま(荏胡麻)の詳細についてはこちら

まず、「大山崎えごまクラブ」のことについて、少し調べてみました。

大山崎えごまクラブは大山崎町で発足した、自治をモットーとして地域クラブで、「エゴマの灯明油で栄えた街」である大山崎町の歴史をふまえ、エゴマに関わる文化を現在に活かして街の地域活性化をめざして活動中とのこと。

年間を通じて栽培や、イベントを開催するなかで、町内外の人・団体との交流やコラボレーションをはかるのを目的としており、新しい企画やものづくりに取り組んでいます。

クラブ発足のきっかけは、2008年に、エゴマ油を復活させるプロジェクト【エゴマまるごと体験事業】で、エゴマの種まきから収穫、実の採取、油しぼり、そして油を使った料理の開発を行い、そこから発展的にクラブへ組織化。

その後、クラブイベント「えごまフェスタ」や町内のイベントなどを開催。「えごま葉のお茶」、「エゴマ実入りドーナツ」などを提供しています。また、餅つきでは、エゴマ味噌、エゴマしょうゆの味付けも提供。

「えごま葉のお茶」、「エゴマ実入りドーナツ」

また、かつての、油しぼり使われたとされる絞木式搾油器油しぼりの模型を使った搾油実験など、レプリカの製作や実演も行っています。

長木式搾油機

大山崎えごまクラブでは、現在も活発に活動を行っており、参加者を随時募集しています。

参加加入希望の方は、FAXで075-957-3094(永田方)まで、
氏名、年齢、住所、メールアドレスを記載して申し込みが必要。
年会費は2,000円(保険料500円別途)
※小学生の参加は、保護者同伴。

(注)上記の内容は、山崎観光案内所の「大山崎えごまクラブ」についての記事を一部加工して記載しました。

 

次に、京都の大山崎町とえごま(荏胡麻)油の歴史的つながりについて、調べてみました。

大山崎は、かつてエゴマ油の総元締めとして栄えました。離宮八幡宮を中心に独占的に販売権を得ると、油座を制定、最盛期には近畿内だけでなく、美濃・尾張まで広げていたそうです。しかし、桃山時代から江戸時代にかけて衰退していきました。
※山崎観光案内所の「大山崎えごまクラブ」についての記事から一部抜粋

かつて、えごま界の日銀だったということですね。この大山崎を中心に日本の荏胡麻油が取引されていたということだと思います。

山崎には、大山崎油座という、鎌倉時代から戦国時代にかけて、山崎地域で荏胡麻(えごま)油を、原料の仕入れから製油・販売までを独占して販売し発展していた座がありました。座の構成員は主に離宮八幡宮の神人であったといいます。石清水八幡宮の神事に携わったことから、当時の幕府や実力者達から保護を受け、崇敬心や神威をかざして巧みにふるまい特権を拡大していました。大山崎を「荏胡麻製油家の元祖」として,諸国の関所や渡し場を自由に通行できるようにし,課益を免除しました。おかげで最盛期には近畿内だけでなく、美濃・尾張まで広げていたそうです。

山崎の油売りの図 
photo2

山崎離宮八幡宮に伝わる長木の図 
photo3

大山崎油座は、応仁の乱による山崎の荒廃、さらには戦国期の織田信長の楽市・楽座の制により繁栄の終焉を迎えます。やがて菜種油が普及するにいたり崩壊をむかえました。現在の大山崎の地では、離宮八幡宮所蔵の資料や碑によってでしか確認することができません。

さて、ここで出てきた荏胡麻(えごま)油ですが、当時の油は、この荏胡麻(えごま)油が主流でした。油は、主として照明用の灯油として用いられ、灯油の最大の需用は寺社の灯明用でした。江戸時代に菜種油が普及するまでは日本で植物油と言えば、このエゴマ油でありました。材料であるエゴマはシソ科の一年草であり原産地は東南アジアです。種子から絞った油がエゴマ油ですが、中世以降は生産されなくなっていきました。山崎では絞る絵が、いくつか残されています。

しかし、1990年に、人体に不可欠な必須脂肪酸であるα-リノレン酸を豊富に含んでいることから、健康によい成分を持つことが注目され、製品として作られて再び食品市場に現れています。
※山崎観光案内所の「大山崎えごまクラブ」についての記事から一部抜粋

JAMHA(日本メディカルハーブ協会)のハーバルセラピスト養成講座を受講していたときに、メディカルハーブの歴史を学んでいるのですが、西洋ハーブの歴史が大半です。

こういった荏胡麻の歴史についての流れを知ると、日本におけるハーブの歴史の記録ももっともっと沢山残っているんだろうと想像できます。

実は、先日伺った”おきなわ食べる通信”主催の「岸本ファーム」さんのイベントで、和ハーブ協会理事長の古谷暢基さんがいらっしゃっていて、来月もお会いするかもしれませんので、日本におけるハーブの歴史について色々とお伺いできると思います。

【参考記事:沖縄のフレッシュハーブ農家「岸本ファーム」のイベントで【島ハーブ】の魅力を存分に味わってきました

本当に、日々知らないことだらけの自分だということに気づかされます。

先程、JAMHAのハーバルセラピスト養成講座のことが話にでましたが、講師として大変お世話になった岡崎由美子先生に、Place aux Herbes(プラース・オウ・エルブス)~ハーブ・アロマのプロの集合サイト~のことについてご紹介頂きました。

【先生の紹介記事】:Place aux Herbes(プラース・オウ・エルブス)♪

岡崎由美子先生は、ハーブの講師として活躍するばかりでなく、キャンドルアーティストとしても活躍されています。

昨年、こども達と先生の工房に訪問した時のことを記事にしておりますので、チェックしてみてください。

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