過去2日間にわたり、日本における『キムチ』の普及史について取り上げてきました。
【日本におけるキムチの普及史(1945年-1960年編)】
【日本におけるキムチの普及史(1961年-1980年編)】
1961年-1980年編においては、日本でコクの浅いキムチが多い背景についての情報を汲み取ることができ、とてもテンションが上がりました。
今日は「日本におけるキムチの普及史」の最終日です。”1981年-2004年編”を取り上げたいと思います。
むくげ通信207号(2004年11月)
日 本 の キ ム チ
(4)1981年から現在までのキムチ
佐 々 木 道 雄
戦前には、ニンニクや塩辛を加えずに、あたかも日本の漬物の一変形であるかのような各種キムチが、朝鮮漬、沈菜、キムチ、キミチーなどと呼ばれて作られていた。そして、日本的にアレンジされたキムチ(在地系キムチ)がその当時の主流であった。
戦後になると、戦前からあつた在地系、在日系、朝鮮半島系のそれぞれのキムチが復活するが、その中で、主流の在地系キムチは、在日系や朝鮮半島系のキムチの影響を受けながら工夫が積み重ねられ、今日につながる多様な在地系キムチとして発展していった。この変化の中で、キムチ漬けの手順が単純化されて早漬け(浅漬け)タイプが増加し、また、見栄えよく真っ赤に着色されたキムチが作られるようになった。
こうした段階にあったキムチが発展し、消費を増加させるのは1980年代以降のことであった。今号は、キムチのこの発展期に照準を合わせ、その様相を垣間見てみようと思う。
(1) 多様化する日本のキムチ
家庭で漬けるキムチの特徴を知るために、1980年代と90年代の漬物の本を無作為に選んでまとめたものが、次ページの表である。 表はこちら
表を見ると、真っ赤に染めたキムチ(今日ではごく普通に見られる)は70年代末に引き続いて作られるが、手作りキムチの場合は自然の色が好まれる傾向が強いと見えて、パプリカやトマトピューレなどの着色剤の使用はすぐに消える。市販のキムチの素も料理書に登場するが、これも主流にならず、やはり手作り感覚の強いものが支持されるようだ。また、即席漬けや早漬けの傾向が進む一方で、本格的なキムチを求める傾向も出てくる。
さらに、健康やダイエットへの志向を反映して、サラダ風のものまで登場するようになる。その例を一つ示そう。
白菜のサラダ風即席漬け
材料 白菜 10枚
ニンニク 1かけ
ショウガ 1かけ
赤唐辛子 (小)2本
塩
作り方:白菜は手でちぎって塩少々をふり、軽くもんで約10分間おき、サッと洗って水をきる。ニンニクはうす切り、ショウガは細切り、赤唐辛子は種を取り除いて小口切り。以上のものを混ぜ、塩をふって1~2時間おく。
(日本放送協会編『漬物と常備菜』1994年より)
ニンニクやショウガを入れる点がキムチに近く、赤唐辛子を小口切りする点は日本の白菜漬けに近い。これは、キムチの枠をはみ出した料理であって、漬物とサラダの中間的な料理である。そして、名称にもキムチの名が見えない。
このように、キムチの枠からはみ出してしまったものもある。これは、キムチと他の料理との垣根がはっきりしなくなったことの表れであり、キムチはこうして、他の料理と融合したものから本格的なキムチを志向したものまで、さまざまなバリエーションを持つ料理へと変容しているのである。そして、かつては自家製が基本であった漬物も、今日では市販品を求めるかたちに変わり、手作りの漬物は一部の人たちの趣味的なものへと変化しており、キムチもまたこの例外ではない。
ところで、表を見ると、1980年代半ばに〝韓国漬け〟という名が現われる。この時期は、朝鮮よりも韓国という呼称のほうが優勢になる時代に相当し、韓国・朝鮮料理店の名称を「朝鮮料理店」にするか、「韓国料理店」にするかが業界でもめ結局「焼肉店」を名のるようになった時代とも重なる。この影響がキムチの名称にも影響を与え、韓国漬けなる名称が生まれたのだろう。しかし、この名は一時的なものに終わった。そしてこれ以降、キムチと朝鮮漬の名称が併用される時代から、キムチのみが使われる時代へと変化していく。
(2) 増加する朝鮮料理書とキムチの本
次に、韓国・朝鮮料理を書名に掲げた本(以降、「料理本」という)に目を転じよう。この種の本の発行は極めて少なく、戦後では、1962年の『韓国料理』(趙重玉)が最初で60年代の出版はこれ一冊であった。70年代に入ると、若干増加するが、それでも4冊に過ぎない。ところが80年代になると18冊に増加し、さらにキムチの名を書名に掲げた料理書(以降、「キムチ本」という)が80年代後半に6冊刊行され、合計すると24冊にもなる。つまり、60~80年代では、10年ごとに、1→4→24冊という具合に増加していくのである。
急激な増加は80年代後半に起こるが、これは1986年のソウルアジア大会と1988年のソウル五輪開催に伴う韓国ブーム(第1次)を当て込んだものであった。そして、これらの大会の開催によって、韓国や韓国文化に対する日本人の意識に大きな変化が生じ、この間に韓国料理ブームが出現する。
ところがソウル五輪が終わると、「料理本」や「キムチ本」の発行はほとんどなくなってしまう。これが再び活況を呈すようになるのは、ソウル五輪から9年後の97年からである。90年代には「料理本」9冊と「キムチ本」14冊の計23冊が出版され、さらに、2000年から2003年までの4年間では、それぞれ25冊と11冊、計36冊にもなる一大ブームが出現する(本の冊数は国会図書館や大阪府・大阪市の図書館の検索などによる)。
これは、90年代末から始まった第2次韓国ブームや、ワールドカップサッカー日韓共催と大いに関係しているが、詳しくは次々号で検討する。
特に、2001~2年前後ごろがブームのピークで、大型書店の料理書コーナーに行くと、「キムチ本」が数種類、最も目立つところに高々と平積みされており、「時代も変わったものだ!」としばし感嘆した記憶がある。
現在は韓流ブームの真っ只中にあるが、このブームは、空前のキムチブームや韓国映画ブーム、そしてワールドカップサッカー共催によって高揚した韓国ブームなどに引き続くものであり、決して突発的な出来事ではない。
(3) 和風化する朝鮮半島系キムチ
話を元に戻し、80年代の「料理本」には、どんなキムチが記されているのかを見てみよう。
これらの本の著者は、在日は少なくまれに日本人もあるが、ほとんどは韓国出身者(料理の指導などのために来日)か韓国在住者で、したがって朝鮮半島系キムチを紹介した本が多い。
在日系キムチは朝鮮半島のキムチ作りの伝統を色濃く残しながらも、早くから和風化が起こり、昆布や煮干などの日本的な味付けが付加されたことを前号で紹介した。80年代に入るとこの傾向は朝鮮半島系キムチにも及ぶ。韓国出身の崔芝淑の書『家庭で作る やさしい韓国料理』(ブティック社、1988年)の「白菜キムチ」の作り方から見てみよう(材料の分量は省略)。
白菜キムチ(????、ペチュキムチ)
材料 : 白菜、大根、塩
漬けだれA : だし汁、小麦粉、あみの塩辛、アンチョビソース、
漬けだれB : ニラ、ネギのみじん切り、粉唐辛子、砂糖、おろしショウガ、おろしニンニク、化学調味料
作り方 : 白菜は4つ割にして塩をふり、軽い重石をして一昼夜おく。漬けダレは、鍋にAを入れてひと煮立ちさせ、冷えてからBと大根を加え混ぜ合わせる。白菜の葉と葉の間に漬けダレをぬりつけるようにはさみ、容器に隙間なく重ね、ラップをかけてふたをし、暗冷所におく。
漬けだれAのだし汁は、煮干で取り、「昆布や干ししいたけのもどし汁を加えると、さらに味がよくなります」とあるから、和風味であることがわかる。また、だし汁を「漬けだれ」に混ぜるのも在地(日本)式である。
この例のように、韓国出身者のキムチは、在地系キムチの影響を受けているものが多い。これは、日本人の嗜好に合うように工夫した結果と思われる。戦前の朝鮮半島系キムチの記述は、朝鮮半島のキムチ作りを日本人に紹介することが主眼だったために、朝鮮半島のキムチ作りがそのまま紹介されることが多かったが、戦後では、日本人に好まれるように工夫されたキムチが記されるようになったのである。
こうして、料理書に記された在地系、在日系、朝鮮半島系のそれぞれのキムチは、いずれも日本的な変化を受けたもので占められるようになった。特に、在日系と朝鮮半島系のキムチではその境界がなくなり、在日系キムチの中に吸収・統合されたとみることができよう。
(4) 市販キムチの発展と販売の増大
家庭で作るキムチから目を転じて、販売用のキムチについて考えてみよう。
前号では、塩漬け白菜に赤いタレをつけただけのキムチ(タレキムチ)について紹介した。このキムチは、全日本漬物協同組合連合会のホームページの<漬物Q&A >によると、「昔、日本が温暖でかつ工場に冷蔵庫のない時代に、苦労して開発したもの」とあるので、結構古いものと見られる。だが、よく目にするようになったのは、1980年前後頃からではなかろうか。
赤いタレの処方を、1981年刊『新漬物処方全覧』(食品研究所)から2つ紹介しよう(材料の分量は省略)。
白菜朝鮮漬(小川敏男) : 水、塩、グルタミン酸ソーダ、アミノ酸系粉末調味料、コハク酸ソーダ、クエン酸、乳酸、唐辛子粉末、ニンニク粉末、カツオだし粉末、パプリカ色素
白菜朝鮮漬(味の素) : 淡口「味液」、「味の素」、「プロアミ」TF、調味ベース・K-110液、ソルビットK、リンゴ酸ソーダ、クエン酸、乳酸、乾燥ニンニク、唐辛子粉、唐辛子荒粉、パプリカ、おろしショウガ、キサントガム、食塩
これらの材料の構成について解説すると、次のとおりになる。
① 発酵味を出すための有機酸やその塩類(上記ではコハク酸ソーダ、クエン酸、乳酸、リンゴ酸ソーダが該当、以下同じ)
② キムチに欠かせないニンニクや唐辛子などの香辛料(唐辛子粉末、ニンニク粉末、おろしショウガ)
③ 赤い色を強調するための色素(パプリカ)や、これを白菜の表面に付着させるための粘着材(キサントガム)
④ うま味をだすための調味料(グルタミン酸ソーダ、アミノ酸系粉末調味料、カツオだし粉末、淡口「味液」、「味の素」、「プロアミ」TF、調味ベース・K-110液、ソルビットK)
つまり、発酵味を人為的に加え、ニンニクや唐辛子でキムチ味を演出し、真っ赤に染めて化学調味料などで味を調えるのである。④は塩辛に替えて添加されたもので、基本的には和風の味付けである。(ただし、これらは初期段階の組成であって、近年になるほど食品添加物が減り、天然素材の比率が増えている)
タレを塩漬け野菜にからめたタレキムチの他に、従来からあるキムチも売られたが、全日本漬物協同組合連合会ではこれを「本格キムチ」と呼んでいる。これは、大根、人参、ネギの刻み物に赤いタレを加え、塩漬け白菜と混ぜ合わせたものと説明されている。このように、タレキムチ(新たに生まれた在地系キムチとでも呼ぶことができよう)と「本格キムチ」の違いは材料だけだ。つまりここでいう「本格キムチ」とは、従来型のキムチ全体(従来型の在地キムチと在日キムチ)を指すものとみられる。
当時は、漬物業者によるキムチのキャンペーン販売が盛んで、真っ赤に色づけされたタレキムチが、スーパーマーケットやデパートの目立つ場所に山に盛って、試食を勧めながら熱心に販売する姿が頻繁に見られたものである。また、ビニールバックされた「新つけもの」(前号参照)なる無発酵タイプの漬物が漬物売場に並ぶようになったのも、同じ頃だったかもしれない。
これらキムチの共通点は、色素を使って真っ赤に着色することだが、こうして1980年前後から、日本の市販のキムチは唐辛子では出るはずのない濃い赤色に染まることになったが、今ではこれが当たり前になってしまった。ところがこれが、韓国にも飛び火したように思う。
浅漬けのタレキムチや「新つけもの」キムチは、大量生産に適していることもあり、全国に流通し消費も徐々に上向いていった。中でも「新つけもの」キムチは、ビニールパック(密封)し殺菌を施すことで、漬物を低塩化すること可能となり、商品の品質も一定となって流通や販売も容易になった。その反面、これらキムチは食品添加物が比較的に多く、整腸作用のある乳酸菌などの菌類を含まないという欠点を持つ。
90年代の後半頃には、和風の味をアピールした「和風キムチ」なるものが現れる。このキムチはネーミングのおもしろさも手伝って販売を伸ばし、キムチブームの一翼を担った。さらに最近は、本物志向が強まって、乳酸菌の多い熟成型キムチか目につくようになった。
こうした努力が実を結び、キムチの生産は1997年から驚異的な増加へと転じ、1996年から2002年のまでのわずか6年間で、3.9倍にもなった(この驚異的な生産の増加については、次号でくわしく考察したい)。
(5) 在日系キムチの活躍
一方、韓国・朝鮮料理専門の総菜店が、デパートや大規模ショッピングセンターへ進出したのは、韓国・朝鮮料理が市民権を得たソウル五輪前後からのことからではなかろうか。その中でも最大の売れ筋商品はキムチ(在日系キムチ)であった。
それと同じ頃だろうが、スーパーマーケットやデパートの漬物売場にも在日系キムチが並べられるようになった。味はもちろん、日本人に好まれるように作られていたが、在地系キムチとの違いは歴然であった。そして、この味を好む日本人も次第に増えていった。
(6) 韓国産キムチの味と日本型キムチの韓国上陸
在日系キムチが定着すると、今度は市販用の韓国産キムチが目に付くようになる。韓国への旅行者が増え、本場の味を求めるようになったことも背景にあるだろう。
輸入が増加するのは1991年からなので、この頃から徐々にスーパーマーケットにも並び始めたのであろうが、輸入量の急増は、日本のキムチ生産が急増を始める時期とほぼ同じく、1998年からである。しかし、99年をピークにその後は伸び悩み、2001年で見ると日本製の6%ほどの量にしかならない。しかも最近は、価格の安い中国製キムチ(韓国メーカーが現地生産しているようだ)がシェアーを伸ばしつつあるという。
ところで、韓国産キムチは本当に本場韓国の味なのだろうか。そうではないのである。材料をチェックすると、和風の味に調えているものが多いことから在日系キムチに近いことがわかる。日本に輸出するキムチは、日本人の嗜好に合わせて製造されるのが通例で、例えば、『朝鮮日報』の1992年4月22日の記事によると、韓国の「珍味食品」の朴仙姫社長談として、「日本人たちはニンニクが入っているものや刺激性の強いキムチを嫌うので、輸出用キムチは塩濃度をできるだけ抑え、唐辛子粉の使用量を異にしている」とある。また、日本側の輸入業者も、日本人の味覚に合わせたものであると宣伝している。
つまり、日本で売られているキムチは国産であれ輸入物であれ、日本人の味の好みに合わせたものが流通しているのである。だが、そうはいってもキムチの種類は多く、在地系キムチの発展タイプである和風キムチや「新つけもの」キムチから、朝鮮半島系キムチに近いものまで、さまざまなタイプのものが売場を賑わしている。
ところで、タレキムチは韓国にも上陸している。前田安彦の『新つけもの考』(岩波新書、1987年)には、「タレキムチは、韓国帰りのアメリカ兵のため日本からアメリカに伝えられ、さらにそれが韓国に再上陸しようという勢い」とある。また、タレキムチが韓国の漬物工場でとりあげられ「従来の保存性のなさに対して和製キムチの加熱殺菌、長期保存の優秀性が認められ、生かされることになった」という。韓国で工場生産されるキムチは、日本のタレキムチの技術が生かされているのかもしれない。
※むくげ通信207号(2004年11月)の記述(https://www.ksyc.jp/mukuge/207/sasaki.htm)より抜粋
この記事が書かれたが2004年なので、タイトルの”1981年から現在までのキムチ”の「現在」を2004年に置き換えました。
戦前、戦後、1961年~1980年、1981年~2004年の4つのフェーズで分けて、日本におけるキムチの歴史を振り返ってみると、紆余曲折があったものの、長い年月をかけてキムチが深く日本人に浸透していったことがわかります。
「ブーム」というのは一時的なものではありますが、1980年代の動きを見ると、日本におけるキムチの普及において「ブームの風をうまく利用した」ことも、日本人にキムチがしっかりと根付いた原因にもなっていると思います。
初回の【日本におけるキムチの普及史(1945年-1960年編)】で紹介した食道園(戦後の日本における朝鮮焼肉のはしり)のキムチのコクの深い美味しさを振り返ってみると、日本人向けにアレンジはされてはいるものの韓国本土のオリジナルのキムチに近い味なのではないかと思います。
今後、日本においてコクの深い美味しいキムチを求める場合は、1961年~1980年代のインスタント食品ブームの影響を受ける前の、戦後の1945年~1960年の間に日本でキムチづくりをはじめ、味を守り抜いているようなお店を探すのもポイントかもしれません。(一概には言えませんが)
今後のキムチの見極めが楽しくなりそうです。