はじめての香川県・小豆島旅行記【オリーブ記念館で小豆島オリーブの歴史に触れる 編】

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昨日に引き続き、「はじめての香川県・小豆島旅行記」をお伝えしますが、今日は、【オリーブ記念館で小豆島オリーブの歴史に触れる 編】です。

昨日の、ハーブ苗販売所「HERB GARDEN」は、”道の駅 小豆島オリーブ公園”の「敷地」にありますが、オリーブ記念館は、「建屋」の中にあります。

では、早速レポートさせて頂きます。

今回の旅の目的のひとつは、小豆島オリーブの歴史をできる限り理解するところにありましたので、「オリーブ記念館」という表示を見てテンションが上がりました。
【日本のオリーブの黎明期】日本にはじめて渡ってきたオリーブの木が”ポルトガル”からというのは全く知りませんでした。
(左の人物:佐野常民)日本で初めて実ったオリーブの記録が残っていたんですね。
(真ん中の人物:前田正名)東京三田へ2000本輸入し、そのうちの600本は神戸で栽培されたという記載があります。
(右の人物:林洞海)薬用としてのオリーブに注目していたんですね。幕府医学所薬物園と横須賀にも植えられたが、今は現物も記録も残っていないというのは残念。
【小豆島のオリーブを拓いた先人たち】1908年(明治41年)農商務省からオリーブ栽培の委託を受け、三重・香川・鹿児島の3県で試験栽培を開始し、小豆島だけがその栽培に成功したという記録は最も重要なエピソードだと思います。

(補足)私が小豆島に泊まった時に、宿の主人から、農商務省が3県にオリーブ栽培を委託した背景を聞きました。日本が日露戦争に勝利をし、今の日本海側が日本の領海になったのをきっかけに、イワシ(鰯)が大量に採れるようになり、その保存法として、海外で「オイルサーディン(イワシの油漬け)」用で使われていたオリーブオイルに政府が注目そうです。
※正しい情報かはわからないですが、参考情報として記載いたします。

(左の人物:福羽逸人)日本で初めてオリーブオイルを搾油した方なんですね。
(真ん中の人物:福家梅太郎)植物学者の牧野富太郎さんとも交流があったんですね。
(右の人物:水野邦次郎)小豆島オリーブの振興に尽力された方ですね。
小豆島における栽培試験場の情報が興味深いです。ミッションとネバディロブランコの2種を栽培していたんですね。
オリーブ研究の第一人者:野呂き巳次郎氏。花王の石鹸研究室にも勤務されていたんですね。
小豆島に苗木を植えて二年後に花をつけたという記載があります。
1913年からいよいよ搾油のステージに入ったということですね。進歩の速さが凄いです。
「オリーブアナアキゾウムシ」は日本の固有種であるにも関わらず、外来種のオリーブを大好物になってしまったようです。

以前、「オリーブアナアキゾウムシ」のことは以下の記事で取り上げました。

【過去の参考記事:NHK「猫のしっぽ カエルの手」の小豆島特集で、国内で初めてオリーブの有機栽培を成功させた山田典章さんが紹介されました

明治時代のオリーブ原木
収穫時に使っていた籠です。
オリーブ選果器
種核割り器
種核割り器を横から見るとこんな感じ
オリーブの起源はシリアのようですね。オリーブ伝播の歴史においては日本は最後の最後という感じです。
地中海におけるオリーブ普及の推定経路の写真を拡大
1928年の高圧大型搾油機の導入により、採油効率が大幅に向上。
【小豆島オリーブの盛衰】昭和25年頃のオリーブオイルの価格の高騰度合いが凄いですね。。
1947年以降、採油、果実加工技術を確立。昭和60年頃、120ヘクタール以上あった栽培面積が33ヘクタールまで減ったというのはものすごいインパクトです。
オリーブアナアキゾウムシの克服
小豆島のオリーブオイルの量産化体制が整ったのは平成に入ってからだったんですね。
オリーブオイルを採るまでの工程
オリーブ図鑑
オリーブオイルの製法と品質の分類

オリーブ記念館の中で収めてきた写真は以上となります。

日本におけるオリーブの歴史とこんなにしっかりと向き合ったことは、人生の中で初めてです。

この背景を覚えておくことで、今後、自分の中での発見が生じる場面があるはずです。

オリーブ記念館の展示は、小豆島のオリーブの歴史を理解する上で素晴らしい場所だと思います。

 
 
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