以前、韓国のチェジュ島(済州島)にある「済州ハーブ園」に関連するニュースを取り上げたことがあります。
【過去記事:韓国の済州(チェジュ)ハーブ園で12月まで楽しめる「ピンクのススキ」とは】(2018年11月5日)
韓国のハーブ巡りもじっくりと行ないたい想いがあるのですが、今日は、韓国のお茶どころ”河東(ハドン)”に関する興味深い情報を取り上げたいと思います。
「緑茶」は日本独特のものではない! 近くて遠くて近い国の茶どころへ。韓国・河東(ハドン)への旅−フランス人茶商【ステファン・ダントンの挑戦】「同じ東アジアの国と、お茶を仲立ちにもっと相互理解をできたらおもしろい」
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緑茶が近づけた韓国と私
東アジアのお茶文化について、実は意外と知られていないことが多い。思い込みも多い。日本にいると、龍井をはじめとする中国緑茶はさほどポピュラーではないから、中国茶といえばウーロン茶ということになっている。韓国の緑茶についてはもっと知られていないだろう。韓国料理店で食後に出されるコーン茶は、日本でいえば番茶のようなもので、茶葉を使わない日常のお茶。
なんだか「緑茶は日本独特のものだ」という思い込みがありはしないだろうか。実際はそんなことはなくて、中国でも韓国でも伝統的に独自の緑茶文化を花開かせているのだ。
私は2008年から世界緑茶コンテストの審査員として、毎年世界各国の緑茶を味わうチャンスに恵まれてきた。産地の風土、茶葉の加工の方法、それぞれの国と地域の生産者の自信作を味わってきた。
韓国の緑茶ときちんと向き合ったのは、コンテストの現場だった。驚くほどに繊細な香りと味わいは、各生産者の独自の技術によって個性ある製品となっていた。
「どんな風土でつくられいるのか、その現場を見てみたい」
実は、韓国に対しては、「利益のためならなんでもするような厳しい経済感覚を持つビジネスマンの国」だという思い込みを持っていた。母国フランスとは離れた東アジアはそもそも遠い異文化。日本に長く暮らす中で、知らず知らずのうちに日本を中心に東アジアを見るようになっていた私にとって、韓国は近いけれどとても遠い存在だった。
「お茶を通して韓国を理解できたらいいな」
そんな願いがかなったのは、2013年の冬のことだった。緑茶を愛する想いが韓国へ
緑茶を通して知り合った人は数知れないが、世界緑茶協会の会合で出会ったI さんもその一人だった。Iさんは韓国に嫁いだ静岡出身の女性。
「ダントンさん、韓国で日本茶がすごく高いのは知ってる? 関税が高いせいだろうけど、なかなか韓国では日本茶が知られていないの。韓国緑茶が日本に知られていない原因にも関税の高さが関係しているかもしれないわ」
「お茶のような農産物は、生産者を守るためにそうなっているんだろうけど、少しもったいないね」
「それに、韓国の緑茶がすばらしいのはダントンさんもご存知だとは思うけど、なかなか海外に向けて発信することができなくて生産者は困っているの。新しい緑茶のアピールの方法やフレーバー茶の講座を開催してくれないかしら?」
Iさんの緑茶に対する想いと私のそれは一致したし、なにより韓国の茶どころへ行って生産者に会えることにワクワクしながら韓国行きの準備を始めた。
茶どころ河東で
Ⅰさんがセッティングしてくれた講座は、韓国の茶どころとして知られる慶尚南道の西部、河東郡の河東緑茶研究所で行われることになった。
成田から釜山空港へは2時間ほどで到着した。日本と似ているようだけど日本よりも強く刺激的な香りのただよう空港にIさんが迎えにきてくれていた。予想はしていたが戸外は乾燥した寒気が肌を突き刺すようだった。冬枯れの山間を走る高速道路を2時間半。周囲の岩の多い斜面に茶畑が広がる。
「ここのお茶は完全な有機農法でつくられていて、野生茶と呼ばれているのよ」
斜面の茶畑もなんだか有機的な形をしている。茶樹の周りに円弧を描くようにあぜ道がつくられているのだ。韓国で最初のお茶の栽培地として知られる河東の緑茶生産はすべて手作業だという。
河東緑茶研究所では、40名の生産者や茶商が私を待っていてくれた。
講座の前半は、フレーバー茶のコンセプトやブレンドの仕方、売り方について講演を行った。フランス人の私が日本語で話したことを日本人のIさんが韓国語に通訳するという不思議なかたち。後半は実践だ。4人1組のグループをつくって、オリジナルフレーバー茶をつくってもらいコンテストをした。審査基準は、コンセプト・ブレンド・香り・かざりが総合して販売に耐える商品になっているかどうか。審査員は私と所長。
オリジナルフレーバー茶の材料は、現地の緑茶と番茶。漢方材料や乾燥野菜なども用意した。さらに、日本からは花びらや香料を用意した。それをそれぞれにブレンドしていった。言葉だけのコミュニケーションは難しいが、目の前の材料を指差しながらのアドバイスは割とうまくいった。2時間ほどで、オリジナリティ溢れる10種類のフレーバー茶ができあがった。地元の半発酵茶に高麗人参などの漢方材料をブレンドしたもの、柑橘を加えた爽やかな香りの緑茶がとくにすばらしかった。
強烈な印象を残した河東の夜
この講座では、私のブレンドの仕方も材料もコンセプトも公開してみんなに実践してもらった。この講座に限らず、私はどこでも誰にでも自分の手の内をオープンにしている。どんどん真似をしていいんだ。真似からオリジナルが生まれる。でも私と同じものはつくれない。たくさんの競争相手がいたほうがいいものが生まれる。
その夜のディナーは強烈な印象を残した。半戸外での焼肉を準備してくれたのだが、冷たい雨が降り始めていた。ポケットから手を出したくないほどの寒さに、焼けた肉をすぐに口に運ばないと冷えそうなほどだった。低く貼られたビニールテントの屋根は低くて、こもった煙に目も痛かった。講座がうまくいった満足感も焼肉の旨さもあったけど、それ以上に「部屋に帰って温まりたい」という気持ちでいっぱいだった。ところが、ホテルの部屋の床はタイル貼り、シャワーしかない浴室。ともかく、あれほど寒さに震えた記憶はそうはない。
2日目の朝からは、お茶名人に会いにいったり韓国茶道の体験をしたりした。そして、講座で出会った生産者の茶畑や茶商たちの店や工場を見学しにいった。みんな「ステファン、うちを見に来て」と言ってくれたから、全員の畑や店に行きたかったがそれはかなわなかった。漢方材料を扱うマーケットにも足を運んだ。
茶畑に向かう山道で衝突事故にあってしまうというアクシデントもあった。自分の茶畑に案内しようと運転していた生産者は、「時間も限られているのにごめんね」なんて言ったけど、「人生も旅も計画どおりにはいかないよ。誰にもケガがなくてよかったよ」と答えながら、現場検証の警察官にフレーバー茶のサンプルを進呈した。
河東行きから
この河東への旅で、私の韓国への共感が少し深まった。そもそも評価していた緑茶の生産地へ行き、生産者の情熱と、伝統を守りながらも新しいものを受け入れる積極的な姿勢を知ることができた。
「同じ東アジアの国と、お茶を仲立ちにもっと相互理解をできたらおもしろいことになりそうだ」
そんな気持ちを持つきっかけになった韓国・河東への旅だった。
写真/ステファン・ダントン 編集協力/田村広子、スタジオポルト
【フランス人茶商ステファン・ダントンの茶国漫遊記 vol.12】(2017.9.18)
・横須賀で暮らしはじめて22年、海を知らないリヨン人が海のまちの男に! フランス人茶商【ステファン・ダントンの挑戦】「横須賀から世界とつながる」(前編)
※TABILISTAの2022年4月22日の記事(https://futabanet.jp/tabilista/articles/-/85319?page=1)より抜粋
わくわく感が止まらない記事です。
韓国において、このような緑茶文化が存在していたことに目から鱗でした。
また、フランス人茶商ステファン・ダントンのマインドに心を打つものがあります。直接対面で向き合い、このような形で世界中を繋いでいくことで少しでも平和な世界へと向かっていくのではないでしょうか。
韓国・河東には必ず足を運びたいと思います!