先日、世界三大健康野菜の一つと言われる「アピオス」を食べた際、その時のことを記事にしました。
【過去の参考記事:アメリカの先住民族の戦闘食『アピオス』(世界三大健康野菜)を食べてみましたが、優しい甘みがとても美味しいです。】
その時に、アピオスの日本での主産地は青森県であり、七戸町、佐井村、むつ市などで生産量が多いということを知りました。
今日は、同じ青森県でアワ(粟)栽培が復活しているというニュースを取り上げたいと思うのですが、粟のことを調べると日本国内で栽培が広がって欲しいと思うようになりました。
五戸産アワ復活「雑穀栽培広まって」
高い栄養価や機能性がある雑穀。多種多彩な雑穀を扱う五戸町の山部商店(山部篤志店主)は昨年、五戸産のアワを復活させ、販売を手掛けている。山部店主によると、同町は戦前までアワやヒエの産地だったといい、「風土に合った雑穀は、縄文時代から続いてきた食文化。五戸で雑穀栽培が少しずつ広まれば」と期待を込める。
青森県南や岩手県北などコメ栽培に適さない地域では昔、人々が寒さに強い雑穀を栽培し、食料にしてきた。さらに馬産地だった五戸地方では、アワやヒエの煮汁が牛馬の餌になり、わらが飼育小屋の保温材になるなど重宝されたという。
最近は食物アレルギー対策や健康志向から雑穀は見直され、ブームが続いている。アワの場合、スープにしたり、炊いてチーズ代わりにする人もいるという。
アワは日本最古の雑穀の一つとされる。同店ではこれまで、主に岩手県産を扱ってきた。一方、近年は栽培農家の高齢化による担い手不足で、入手するのが難しくなってきたという。
そこで山部店主は2018年、岩手県葛巻町から種を取り寄せ、五戸町内での試験栽培に着手。同町の農家佐々木七代(ななよ)さん(72)に栽培を委託し、10アールで約50キロが収穫できた。
19年は、佐々木さんが栽培した“五戸生まれ”の種を活用し、同町の多機能型障害福祉サービス事業所「移山寮」にも生産の協力を依頼した。栽培を工夫した佐々木さんは40アールで約570キロまで収量を伸ばし、移山寮は10アールで約90キロを収穫した。
山部店主によると、アワは肥料などに掛かる栽培経費が少なく、天候や土壌に左右されない強さがある。収益もコメと同程度が見込めるという。一方、佐々木さんは「雑草管理や収穫作業に手間や難しさがある」と話す。
同年の五戸産アワは、同店で1袋180グラム入り460円(税込み)で販売中。山部店主が店を継いで45年ほどだが、五戸産の取り扱いは初めてとなった。山部店主は「業者や個人問わず、アワは引き合いがある。五戸で栽培に挑戦する人が増えれば」と語る。
問い合わせは、山部商店=電話0178(62)2760=へ。
※デーリー東北の2020年3月24日の記事(https://www.daily-tohoku.news/archives/32680)より抜粋
アワ栽培の今後の広がりを予感させてくれる記事ですが、そもそも、「アワ」とはどのような植物で、人との関わりにおいてどのような歴史を持つのかをWikipediaでチェックしてみたいと思います。
アワ(粟、学名、Setaria italica)は、イネ科エノコログサ属の多年草。雑穀類。五穀の一つに数えられる。
特徴
アジア原産。祖先野生種の分布がユーラシア大陸に広がっていることから起源地の推測は難しく、アフガニスタンおよびパキスタン西北部のアワが原始的な特徴を保存している系統であることから、中央アジアからアフガニスタン、インド亜大陸北西部あたりを原産地とする説が有力視されている。草丈は150センチメートル前後。穂は黄色に熟し、たれさがる。寒冷地の春アワと、温暖地の夏アワに生態が分かれている。温暖で乾燥した風土を好み、生育期間が3 – 5ヶ月と短いために、高地や高緯度地域でも栽培することができる。栽培地域は広いが、多湿を嫌う。
祖先野生種は、エノコログサを原種とするといわれ、エノコログサとの交雑もよくおこる。体細胞染色体数は2n=18の二倍体であり、C4植物でもある。
一般に5月から6月頃に種をまき、9月下旬から10月頃が収穫の時期である。品種の細分化が進んでいるため、耕作地に適した種子と栽培法が必要となる。求肥性が強く連作を嫌うため、豆類、根菜類との輪作や、麦の間作や後作などによって、連作障害が避けられている。
種類
アワには大穂種(大アワ)と小穂種(小アワ)がある。また、ウルチ種(ウル、粳)とモチ種(モチ、糯)がある。また、収穫の時期から夏アワ、秋アワなどの品種に分けられる。穂型では、円筒型、棍棒型、円錐型、猿手型、猫足型などに分類される。穀粒の色分け区分としては、橙アワ、黄アワ、赤アワ、灰アワ、黒アワ、白アワがあり、中でも白アワが多いとみられている。
利用
穀物として粉食および、粒食される。古くから、アジア、インド、ヨーロッパなどで栽培されており、有史以前にアジア、ヨーロッパ、アフリカの各地に伝播した。日本では、奈良時代より主食にされていたとみられている。中国
中国では紀元前2700年頃にはアワの栽培が行われていた。古代中国の草本書『食物本草』によれば、「味は塩辛く、性質は少し寒で毒はない。肝臓の働きを良くし、脾臓や胃の熱を去り、気を増す。」とある。中国の華北・中原において、黄河文明以来の主食は専らアワ(粟米、谷子)であり、「米」という漢字も本来はアワを示す文字であったといわれている。また、隋唐で採用された税制である租庸調においても、穀物を納付する「租」はアワで納付されるのが原則(本色)であった。
これに対して、華南では稲米は周の時代から栽培が盛んになった。
青海省民和回族トゥ族自治県の喇家遺跡では、およそ4000年前のアワで作った麺が見つかっており、現在、世界最古の麺といわれている。だが、連作や二毛作を行うと、地力を損ないやすいことや、西域から小麦が伝わってきたこととも相まって、次第に主食の地位から転落することになった。しかし、現在でも中国ではアワ粥などにして、アワを食べる機会は多い。また、「鉄絲麺」という、最古の麺と同じような麺類を作る地方もある。
日本
日本へはイネより早く伝来し、縄文時代には栽培されていたことが確認されており、日本最古の穀類作物とされている。日本国内の主産地は、長野県と関東地方、岩手県などの東北地方、岐阜県などの東海地方である。アワは、ヒエ・麦・豆(ダイズ、アズキ)・イネと並んで、神代史上にも記録されている日本古来の五穀である。新嘗祭の供物としても米とともにアワが用いられ、養老律令にも義倉にアワを備蓄するように定められており、『清良記』などの農書にもアワについての解説が詳細に載せられているなど、古くから、ヒエとともに、庶民にとっての重要な食料作物だった。
だが、第二次世界大戦後には生産量が激減した。日本でもかつてはアワだけを炊いたり、粥(アワ粥)にして食べていたが、現在は、米に混ぜて炊いたり、アワおこしとしたりするほか、クチナシで黄色に染めて酢じめしたコハダなどの青魚とあわせたアワ漬を正月料理として食べる程度である。また、主食用であったうるちアワよりも、菓子や餅(アワ団子や粟餅など)、酒などの原料として用いられてきたもちアワの方が多く栽培されている。家畜、家禽、ペットの飼料としての用途の方が多い。
日常食卓のアワ飯は、アワを5、6回とぎ洗いして一晩浸水したあとに、1.6倍量の水と少量の塩で炊飯する。米と混炊するときは、アワの分量を1 – 2割ほど混ぜて炊飯することで、キビほどのくどさのない雑穀のコクが加わる。餅作り、パン作り、和菓子作りのほか、生麩を入れて惣菜作りに向く。低カロリーで腹持ちが悪いというアワの特性は、和風の餅菓子作りで活躍し、餅菓子に使う米粉にアワを混ぜ込むことで胃にもたれなくなる。これは、パンや米飯に混ぜ込んでも同様である。食べ合わせでは、熱性の肉類が多く出る食卓において、寒性のアワとの相性が良いとされる。
栄養価
糖質70%、タンパク質10%を含み、ビタミンB群を含む。鉄、その他のミネラルや食物繊維も豊富なため、五穀米などにして食べる方法が見直されている。米に比べ、タンパク質や脂肪に富み、炭水化物が低いので、ダイエタリーな食品である。※Wikipediaのアワ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AF)より一部を抜粋
今まで、アワに関する情報に触れたことが無かったので、とても面白い内容だと思いました。「アワは日本のもの」というイメージがあったのですが、中央アジア近辺由来で、中国でも古くから活用されてきた歴史を持つ穀物だったことは知りませんでした。
北海道の実家にいたころ、小学生くらいのとき(昭和後期)は、白米の中によくアワが混ざっていた記憶がありますが、高校生くらいのときには白米オンリーになっていました。最近は、外食時に五穀米を選べるレストランが増えてきたのでその中にアワが入っているのを見かけますね。
また、以下の記事には、アワと白米の栄養価の比較データの記載があります。
上記のビタミンE以外にも、パントテン酸を多く含んでいるようです。パントテン酸は、三大栄養素(タンパク質、糖質、脂質)の代謝に欠かせない微量成分で、解毒作用もあり、免疫力をアップさせるパワーにすぐれているとのこと。
まさに、日々の体調を整える上で非常に重宝する穀物のようにおもいますので、日本国内における粟生産は広がって欲しいです。
今後、自分自身のハーバルライフの中でもアワを取り入れていきたいと思うようになりました。